FIJI
RELAXING TRAVEL
碧い海と青い空がどこまでも拡がるフィジーのマナ島に行ってきました。
美しい珊瑚や魚を見たり、心地よい風を感じながらビーチで寝転んだり、気ままに過ごした毎日でした。
心休まる旅、そんな旅行になりました。
フィジアンブルー(Apr.2004)
Chapter
フィジーヘ マナ・アイランド マナの夜 島の一日 3日目 4日目
海の綺麗な所に行きたい。そう思ったのは出発の3週間前だった。なんとなくイメージとして、モルジブが頭の中に浮かび、さっそく旅行会社に問い合わせてみた。そうとは言っても、やはり男一人で行くとなると、ハネムーナーばかりの場所は敬遠したいので、ダイバー達のよく集まる島を選択した。しかし何処もキャンセル待ちの状態で諦めるしかなかった。しかし「海が綺麗で、スノーケリングが出来る場所」と言う漠然とした目的があるだけなので、それならと旅行会社のスタッフにお勧めは無いかと尋ねたところ、フィジーを紹介された。何でも、会社の研修旅行でフィジーに行ってきた方がいて、とても感動して帰ってきたと言う。それではと、僕も行くことに決めたのだ。そして、無事に手配が済んだのは、出発の1週間前だった。思い立ったら何とかと言うが、いつもながらの無計画ぶりである。 僕はあまりパッケージ旅行は利用しないのだが、今回は離島と言うこともあり利用することにした。以前行ったセイシェルもそうであるが、ツアーを利用する方が安く済むのだ。また、受入国側でもツアー旅行者の方が安心して入国させられるのである。それはモルジブでもそうだと聞いたことがある。たぶん、タヒチやニューカレドニアなどでも同様ではないかと思う。 今回の旅行の行程は、その大半をマナ島と言う島で過ごし、そこでスノーケリングをしながら、のんびりと過ごすものである。気ままに怠惰に自分時間を過ごす、ただそれだけである。そのスタイルは僕の旅の基本形のようなもので、あれもこれもとスケジュールを組んで活発に動き回る方々には、退屈この上ないかもしれない。 フィジーに行くことが決まり、わずか1週間であるがWebで情報収集をすることにした。インターネットと言うものは本当に便利この上ないものであると実感する。どうやらフィジーには日本人旅行者が結構行っているようで、参考になるWebページが幾つも見つかった。フィジーは年間で日本人観光客が約4.5万人行くそうである。勿論、近隣のオーストラリアやニュージーランドからの旅行者も多い。しかしWebで見る限り、情報はリゾートに関するものが多く、それ以外のものはあまり無いようだった。とは言え、僕の滞在するマナ島は日系のリゾートなのでその情報量も多く、行く前にはある程度の知識が頭の中に入ってしまっていた。そんなことで、ガイドブックを購入するのを止めた。しかも、今回はツアーなので、フィジーに着くと空港に係りの人が出迎えに来てくれたりするので、移動に当たっては何の下調べも要らなさそうである。そうなってしまうと、何だか旅行に行く前の面白い部分を持って行かれたような気がしてくる。炭酸の抜けたコーラである。やはり旅行は自分でプランニングするのが面白い。 出発日。僕は荷物を持って成田第2ターミナルビルに向かった。スーツケースの中にはスノーケル4点セット(マスク・スノーケル・フィン・シューズ)が入っていた。最後の最後まで購入するかどうか迷ったあげく、買ったものである。マナ島では無料の貸出しがあるのだが、PNGでの経験から、貸出し機材が良くない場合もあると思い購入したのだ。それが無ければ、スーツケース無しでも平気な荷物量である。 チェックインを済ませ、まだ時間は早いがイミグレーションを抜けて出発ロビーに入った。そこにはYahoo!のネットカフェがあり、身分証さえ提示すれば無料でインターネットサービスを利用出来るのである。そこで時間潰しと最後の情報収集を行うことにしたのだ。とにかく便利なので、ありがたいサービスである。 出発時刻が近付き、搭乗ゲートに向かう。ゲートの前ではそれほど多くない人数が椅子に座ってゲートが開くのを待っていた。この分だと余裕で座れそうである。エコノミー席での長時間のフライトだと、隣の席が空いているといないとでは気分的にも肉体的にも随分違うのだ。しかし、熱い新婚カップルはそれでも離れないだろうけどね。そうだとすると、冷え切ってしまっているカップルとの見分け方は、座席を見れば一目瞭然となる。まっ、当てにはならないだろうがね。寂しいシングルの戯言と、聞き流してくれたまえ。 19時過ぎ、熱いの冷たいのごっちゃまぜに僕らを乗せて、白い機体のボーイング767、エア・パシフィック(FJ303)はフィジーのナンディ空港に向けて飛び立った。
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エア・パシフィックの機内食メニューは鶏と魚の2種類があり、鶏を選んだ。味に関しては、大概肉類の方が間違いないからだ。帰りには魚を食べてみたが、それもまずまずの美味さだった。僕の経験上、機内食で魚の美味しい航空会社はあまりない。日本の航空会社とキャセイ・パシフィック、シンガポール航空ぐらいだった。中でもキャセイは美味しいと思う。特に日本発着でないものの方が良いような気がする。日本発だと、どうしても和食っぽいメニューになってしまうからである。台北経由便に乗った時に台湾~香港間で出された食事は、本格的な中華の味がしてとても美味しく、東京~台北間でも食べたにも関わらず、全て平らげてしまったのを思い出す。エア・パシフィックの味はそこまでではないが、及第点をあげても良いと思う。またワインやビールなどのドリンク類も充実していて、エコノミークラスでもスパークリングワインも飲める。ワインは勿論オーストラリア産である。白も赤も辛口でなかなかの味だった。ビールはフィジー産のビターとゴールドの2種類があったが、どちらも美味しい。ビールに関して言えば、どこ 産であろうとそれなりに美味しい物が飲めるような気がする。 フィジーに近付いた頃、機内で朝を迎えた。左の窓から太陽光を感じたが、それは柔らかな光で、穏やかな朝の始まりを感じさせた。眼下には幾つかの島が見えた。アナウンスがあり、767は着陸態勢に入った。次第に高度を落とす。緑の丘や小さな家屋がはっきりと見えてきた。緑色に茂った畑はサトウキビ畑だろうか、そんなことを考えていると、軽いショックと共に、飛行機は着陸した。フィジーに到着したのだ。 入国審査を通り、荷物を受け取って到着ロビーに出ると、ツアー名を書いたカードをこちらに向けて顧客を待つ数名の旅行代理店の人たちがいた。その中で、僕のツアーのカードを持っていたのは、すらりと背の高いプアプアな髪の女性だった。PNGで見たパプア人と同じ髪質である。南太平洋圏での人種の繋がりを感じた。(PNG旅行記パプアな日々Chapterティキを参照されたし) 集まったのは僕を入れて、日本人ばかり12人いた。皆マナ島に行く人たちである。しかし、旅程は日数だの若干違っているようである。その他にビチレブ島を観光したりするツアーも幾つかあるようで、他の旅行社のコンダクターの回りに同じように集まっている姿があった。僕らは係員に連れられ、国際線のビルを出て、隣の国内線のビルにスーツケースを引きずりながら移動した。この皆で移動すると言うのが、どうも苦手である。その後、SUN AIRと言う航空会社のチェックイン・カウンターで手続きをする。その際、預け荷物の他に、手荷物と自身の重量を計測させられた。つまり、総重量を計るのである。それもそのはずで、これから乗る飛行機は顧客を8人しか乗せられないセスナ機だったからである。 双発エンジンに火が入れられ、プロペラが回り始める。ゆっくりと滑走路に出てから、スピードを上げた。エンジン音が更に大きくなった瞬間、ふわりと機体が浮き上がった。次第に高度を上げ、水平飛行に移る。小さな機体であるので、かなりの揺れを想像していたのだが、海上は穏やかで、特に揺れはなかった。天気は快晴である。眼下には深淵を湛えた碧い海が広がっていた。進む先には所々に小島が見え、その周囲は明るくコバルトブルーに色を変えていた。また、珊瑚の環礁で浅くなっている場所もそうであった。アクアマリンとコバルトブルーの青はみごとなまでの宝石の輝きを放っている。幾つかの小島を置き去って行くと、弓形の島が見えてきた。マナ島である。Webでその形を知っていたので、それとすぐに分かった。北と南、西に白いビーチがあり、美しい島だった。明るい緑の滑走路が1本あって、木々の深い緑色を分けていた。セスナは一旦島を通り過ぎてから旋回し、西側から滑走路に入った。 短い草の生えた滑走路に降り立つ。マナ島に到着である。およそ15分ほどのフライトだった。そこへ、トラクターがやってきた。後ろには農作物でも積むような屋根付きの荷車を引いていた。荷車の横には子供が描いたような魚やイルカの絵があり、中を見ると、左右にベンチがあった。つまり送迎車だったのである。とは言え、人間専用と言う訳ではなく荷物を運ぶのにも使われていた。僕らはそれに乗り込み出発した。細い道を曲がると、海岸が見えた。サウスビーチである。風があり、波も出ていた。そうこうするうちに、トラクターがレセプションの前に停ま った。二人の女性とギターを持った男性が出迎えてくれた。そして、男性はギターを弾き始め歓迎の歌を女性と共に歌ってくれたのである。 僕らはレストランとバーのある建物に連れられ、そこで説明を受けることになった。説明から、すぐにチェックインすることが出来ないのを知った。ここのロッジのチェックインタイムはなんと11時だったのである。時間はまだ9時過ぎだったのだ。その間待っていなければならないのだ。ただ座って待ってばかりいるのも面白くないので、その辺を歩いてみることにした。建物の外にも椅子とテーブルがあって、 何人かの朝食を食べている姿があった。外でも食事が取れるようである。その向こうにはプールが見えた。プールサイドには椰子の葉で葺いた屋根のバーがあった。そして、その先には明るい太陽に照らし出された真っ白な砂のビーチと美しく輝く青い海が広がっていた。ノースビーチは先ほど見たサウスビーチと全く違って穏やかに横たわっていた。砂浜に出る。左右に伸びる白浜が眩しい。波は殆ど無く、水際を透明な海水が優しく撫ぜていた。穏やかに拡がる海は サファイヤの輝きで、すぐにでも飛び込んでしまいたい衝動に駆られる。しかしまだ時間的に早いのか、泳いでいる人はいなかった。朝の太陽は既に力強く、強烈な光を僕の頭上に降り注い でいる。5分と立っているだけで、汗が滲み出して来た。僕は浜辺から、プールサイドバーの一段下がったテラスに戻ることにした。木の枝が大きく張り出して木陰を作っている場所の椅子に座り、景色を眺める。海はこれまで見たことがないぐらいに青かった。まるで絵葉書に見るような風景が眼前に広がっていたのだ。 そこに一人の男性がやってきた。僕と同じ飛行機で来た人だった。彼もまた一人で来たようだった。南国のリゾート・アイランドに一人で来るとは、僕のように変わり者か、寂しい心情の持ち主か、疲れて心の安らぎを求めて来たのか、ただ単に好奇心からだったのか、そんなことが頭に浮かんだ。もしかしたら、彼も僕を見てそう思ったかもしれない。とにかくご同様と言うことで、何となく話し始めた。彼は明るく真面目そうな 男だった。美しい海を目の前にし、早く飛び込みたいと瞳を輝かせた。そして、誰もいない海を見ながら、「何故、皆泳がないのだろう?」と不思議そうに言った。確かにそうだった、 ブルーサファイヤに輝く海を目の当たりにして、泳いでいる人の姿ばかりか、ビーチにも誰もいなかったのだ。しかしよくよく考えてみると、まだ朝の9時過ぎである。日帰りの海水浴なら分かるが、何時でも好きな時に海に入れるのだから、ゆっくり朝食でも食べているのだろう。でも、それを考えても目の前に広がる海は、朝食など忘れてしまうぐらいに魅力的で美しかった。しばらく話したり、白い砂浜に出て写真を撮ったりしたのだが、何となく気が合いそうな気がした。可愛い女の子と言うわけではないが、夕食の相棒が出来たことは良かったのではないかと思う。やはり一人よりは複数で食事する方が楽しいからだ。 マナ島はフィジーの首都スバやナンディ国際空港のあるビチレブ島の西、ママヌザ諸島に位置する。島の2/3は日系のリゾートであるマナ・アイランド・リゾートである。部屋数も多く、滞在顧客は日本人の他に、オーストラリアやニュージーランドから来た人々も多い。その他にヨーロッパ各地やUSA、香港、韓国からも来ていた。 残る1/3は島の東側で、聖域として現地の住民以外は立ち入りを禁じられていた。これは観光客として守らねばならないことであると思う。やはり当地には当地の伝統や文化があるのだ。彼らの聖地をただ単に好奇心だけで踏みにじることはしてはいけないのだ。もしそうしたかったら、彼らの文化や暮らしを知り、彼らの同意を受けて初めて入れるのだと思う。 セスナからも眺めたが、 島の北と南、西にはビーチが広がり、珊瑚の欠片で出来た白い砂浜がとても綺麗である。特にノースビーチの沖は珊瑚が群生して綺麗であると、来る前にWebでチェックしていた。サウスビーチはノースビーチよりも浜が広かったが、風のために波が高かった。Webページを見た限り、多くの人がサウスビーチの方が穏やかだったと書いていたが、それは季節風の影響なのだと思う。4月ごろは南風が吹くことが多いためか、全く逆であった。しかし、そのことはスノーケリングを目的にしている僕にとっては好都合だった。 島の一番高い場所はルックアウトポイントと言って、島全体が眺められる場所である。僕は男性と別れて、そこに登ることにした。チェックインまでまだ時間があり、散策がてらそこへ 登ることにしたのである。馬鹿と煙は高い所に行くと言うが、まさにそれである。 道標に従って進み小さな森の中に入る。 巨大なベンジャミンが幹を奇妙にくねらせて空に向かって伸びていた。進行方向に蝶がひらひらと舞い、木々の間から僕に行き先案内をしてくれる。坂を登ると、急に視界が開けた。頂上には三角錐の椰子葺き屋根のベンチのある展望場所があった。僕はそこに立ち360度を見渡す。深緑の島と青い空、そしてアクアマリンとコバルトブルーの2色に色分けされた青い海が広がっていた。心地よい風が頬を撫ぜて行く。僕はしばしその風景に見とれていた。そして、思い出したかのようにデジカメを取り出し、3歩前に出る。すると不意に草むらからトノサマバッタがバサバサと羽音をさせて飛び出した。僕はそれを見やってから、カメラを風景に向ける。小さな液晶画面にそれが映るが、とてもその美しさを捉え切れない感がする。それでもその一部でも切り取ろうとシャッターを切る。そしてまた切る。画面でそれを確認するが、こんなものではないと再びシャッターを切る。ダイナミックに拡がる自然の美しさは、とてもとても写真に収めきれるものではないのだ。自然の美しさに出会うと毎回のようにそう感じてしまう。 11時にチェックインしたが、部屋はまだ準備出来ていないと言う。準備が終わるのは14時ぐらいとのことだった。この地もまた、ご多分に漏れずのんびり気質の地なのだ。少し苛立ちを覚えたが(日系のロッジなのだからね)、いつものことだとすぐに開き直った。そして、準備が出来るまでの間、先の 男性と昼食でも食べに行くことにした。ここのレストランは北ビーチと南ビーチの傍に2箇所あって、南のレストランに行くことにした。理由はただ一つ、北よりも30分早くオープンするからだった。 レストランに行ってみると、海に張り出したテラス席は既に全て先客に陣取られていて、仕方なく建物内部の海の見える窓側のテーブルに付いた。彼はカレーを、僕はクラブサンドウィッチを注文した。クラブサンドウィッチの方はWebで調べていた時に、ここの名物(?)らしく写真があり、美味しそうに見えたので注文してみたのだ。そして、その味も美味しかった。とは言っても普通のサンドウィッチで、特別なものは何もない。一方、彼の頼んだカレーは、見た目も美味しそうだった。フィジーにはインド系の住民が多いので、カレーは美味しいと容易に想像できる。彼の感想はライスのパサパサ感が無ければ、美味しいとのことだった。インディカ米も好きな僕は、むしろそちらを注文した方が良かったかなと思ったりした。 昼食を食べ終わり、ビールを飲みながら話をしていると、ふとテラス席の様子が気になった。そこには日本人のカップルが座っていたのだが、女性の方がスパゲッティを注文したようで、テーブルに運ばれてきたのだ。僕は彼と話しながらも、その様子をちょっと意識して見ていた。彼女はフォークを手に取って、少量の麺を絡み取った。それを口に運ぶ。すると動きが止まった。そしておもむろに立ち上がると、テラスの出入り口の傍にある調味料を置いてあるカウンターまで行き、ケチャップとタバスコを掴んで戻って きた。それから、ケチャップをビシャビシャとパスタにかけ、少量のタバスコをそれに加えた。その様子を見て、聞くに勝る不味さなのだと実感した。実はパスタ類は非常に不味いとWebページに書いてあったのを知っていたのだ。そこにはウドン のようだと表現していた。茹ですぎだと言うことだと思うが、彼女の行動から見ると、それ以上に味付けも悪いようだ。彼女には大変失礼だが、食後の楽しい話題の一つになったのは言うまでもない。僕は滞在中一度もパスタを食べなかったが、それでもトライしてみたいと言う方がいらしたら、どうぞお好きなように。その時は是非感想をお知らせください。 14時にレセプションに行くと、ようやく準備が出来たようで、僕らは19時に夕食を共に取る約束をして別れた。僕が寝起きするのは、ガーデン・ブレと呼ばれる、庭に立つ小さな一戸建てだった。広さもあり、天井には大きな扇風機がつい ていた。勿論トイレとシャワー付きである。バスタブは無い。エアコンも付いていなかったが、過ごしやすく特に必要ないと思えた。とは言え、それは季節柄なのだろう。乾燥した爽やかな南風が吹く季節の話である。湿った暖かな北風が吹くときはかなりの蒸し暑さになると思う(南半球なので、北と南の違いをお忘れなく)。マナ島滞在期間中、唯一最終日がそんな日で寝苦しかったのだ。但し、エアコン が付いたランクの上の部屋もあるのでご安心を。しかし、僕はエアコンのない部屋も良いと思う。 このような場所に来ると、なるだけシンプルな生活をしたくなるのである。勿論TVなんて論外である。 僕は汗と旅の疲れを流すためシャワーを浴びることにした。
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15時過ぎになって、マスクとスノーケルを持って海に行った。とりあえず、ひと泳ぎしようと言う訳で、フィンは持って行かなかった。マリンシューズを履いていたので、 太陽に焼け熱くなった白浜の上でも平気だった。珊瑚の欠片が微小に粉砕されて出来た白い砂浜は柔らかく、踏み出す度に足が包まれるように砂に潜り込んだ。水際まで行き、スノーケルの付いたマスクを頭に掛ける。そして、ゆっくりと海に入って行った。 太陽に温められた海水は暖かく気持ち良い。お腹あたりまで水が来たところでマスクを顔に当て、スノーケルを口に銜え、体を水中に放り出した。体が浮かび、その浮遊感を楽しむ。水はほんのりと薄緑色を帯びていた。砂浜から続く白い底には、明るい緑の海草がまばらでもなく、覆い尽くすのでもなく、白と緑のコントラストを微妙に残しつつ揺らいでいた。明るい光の下で、その二つの色が水中に溶け込んでいるのだ。 すると、すぐに複数の魚影が見えてきた。そして僕に付き添いながら泳ぎはじめたのだ。その体色は薄緑色の水に溶け込むような淡い白色で、二股に分かれた長い尾鰭と、同じぐらいに長く伸びた背鰭と腹鰭が優雅であった。コバンアジである。僕はさっそく防水ケースに入ったデジカメを魚に向けた。優雅に思える魚の動きだが、なかなか上手くフレームに収まらない。何度か失敗して、ようやく撮れた。コバンアジが離れ、浜に沿って泳ぐとまた違う種類の魚が寄ってきた。これも体色は乳白色で、体長が30センチぐらいあり、ぽってりとした唇で、ハタに似た体型をしていた。ここの魚たちは、どうやら人間に興味があるようだ。次に現れたのはひょうきんな面持ちのムラサメモンガラだった。ふっくらした体付きで、横からみると丸みを帯びたひし形をしている。そして、大きな頭部は、まるで歌舞伎役者の隈取 のように色鮮やかだった。彼は人間には興味を持たず、始終砂の間にそのおちょぼ口を突っ込んでいた。砂に潜っている甲殻類などを探しているのだろう。僕は、そのなんともユーモラスな魚が気に入ってしまった。 浜から沖に40~50mほど出ると、珊瑚の広がる礁があると知っていたが、そこまで行くのは止めた。運動不足の体には辛いし、あまり泳ぎは上手くないからである。しかし、泳ぎに自信のないはずの僕であるが、スノーケルやフィンを着けるとそれは別で、脚の届かない所でも平気になる。その軽機材を身につけるだけで、全然違ってくるのだ。もし水が怖いと感じている人がいたら、スノーケリングをすることをお奨めする。それも海の綺麗な所でである。海中の素晴らしい様子を見て浮いていると、時間を忘れてしまう。スノーケルを銜えているので、頭を態々上げて呼吸しなくても良いので楽である。すると次第に水が怖くなくなる。水の中でも平静でいられるようになるのだ。そこが一番重要なところだと思う。緊張したりパニックになったりすると溺れるもので、無理に浮かぼうとして余計に体力を使う。立った姿勢だと、浮力が得ずらいので余計である。余裕が出てくると、緊張が解れ、自然と体が浮いてくる。そうなると水と仲良く出来るようになるのだ。しかし、どうしようも無いのが体力的なものである。日ごろの運動不足は泳ぐとすぐに現れてくる。それを補ってくれるのがフィンである。フィンで水を蹴ると、ずんずん進む。フィンの使い方にはコツがあるが、それもすぐに習得出来るはずだ。普通に泳ぐのとは全然違って、ゆっくりと水を蹴りだすようにフィンを動かす。ボールを蹴るような感じだ。すると楽に進む。これには驚きを感じる。マスクとスノーケルとフィン、これらは本当に水と仲良しになれる道具なのである。 明日は珊瑚の海を見るぞと思いながら、時々潜ったりして体を水に慣らしていった。やはり、脚の筋肉がちょっとつり加減になったが、水中でストレッチをすると治った。そうやって、1時間半ほど水と遊んでいた。 シャワーで海水を落としてから、プールサイドにあるバーに行った。大型テントぐらいの大きさで、屋根は椰子の葉で葺いてある。このリゾートでは、17時から18時の間、ハッピータイムと言って、バーで飲む飲み物は全て半額になると言うサービスを行っていた。それで、ひと泳ぎした体にビールでも染み込ませようと思ったのだ。バーの横ではビンゴゲームが行われているようで、30人ほどの人たちが同じ方向を向いて座っている姿があった。僕は海を眺めようと、彼らに背を向ける格好で椅子に座り、注文を取りに来た陽気なバーテンにビールを注文した。ビールは直ぐに運ばれてきた。ビターと言う名のフィジー産である。喉に冷えた液体を流し込むと、名前の通り僅かに癖のある苦味が旨い。僕は腰をずらして椅子に深く体をゆだね、次第に暮れて行くフィジーの午後の余韻を楽しむことにした。ほんのりと湿気をまとった海風が気持ち良い。大きく広がる海は穏やかに波を揺らし、幾分紅味がかった浜を濡らしていた。後ろで数字を読み上げる声がして、ゲームを楽しむ人々のくつろいだ雰囲気が感じられる。海も空も人も傾いた光のなかで穏やかに開いていた。 ビンゴゲームが終わると、先に知り合った男性がやってきた。声を掛け、これまでの出来事を互いに話し始めた。ここにはサービスとして幾つかの催しがあるのだが、カヴァの儀式を体験すると言うものに彼は参加したと言った。カヴァと言うのは植物の根っこを干したもので、それを細かく砕いて粉末にし、それに水を加えて飲むのである。フィジーに古くから伝わる神聖な飲み物であるらしい。儀式では、茶道のように道具を使い、手順に従ってその飲み物を飲むと言うが、味はあまりなく、特に美味しいものでもないそうだ。その催しでオーストラリア人と知り合ったらしく、ビンゴゲームに誘われて今まで一緒に楽しんでいたと言った。英会話には全く自信がないらしいが、それでも何とかなるのが旅先である。そうやって楽しい時間を持てると、とたんに旅が色を持ち輝き始める。夕食も一緒にどうかと誘われているらしく、僕にどうかと尋ねるので、勿論OKした。食事は人数が多いほど楽しくなるからである。それに、旅先の出会いには何故か心踊るものがある。色々な国、色々な年齢、色々な人たちが、偶然に出会い同じ時間を共有する。それは旅ならではのものであり、他では決して味わえない体験なのだ。彼は今回が2度目の海外旅行で、しかも17年ぶりだと言った。初めての海外旅行と言ってもおかしくないぐらいである。そして、このような出会いを体験したことを、とても新鮮な感動として受け止めているようだった。また一人、独り旅の魅力に捕らえられたなと、僕は彼を見て微笑した。 日はすっかり沈み、オレンジ色の明かりにぼんやりとプールが浮かびあがっていた。 19時。僕は彼に連れられてレストランに行った。 此処に着いた時、初めにスタッフから説明を受けた場所で、ママヌカレストランと呼ばれていた。レストランの一段高くなったエリアの奥に行くと、そこには白人と東洋人のカップルが座っていた。僕は彼に紹介され、皆と握手を交わす。中年の白人カップルはオーストラリア人で、若い東洋人の方は香港人だった。僕らはテーブルを囲んで、まずはビールで乾杯した。白人カップルは穏やかな物腰で、年を重ねなければ出てこない、落ち着いた大人の魅力があった。一方香港人の二人は陽気で快活、実に若者らしい輝きを放っていた。 注文した料理はばらばらに運ばれてきた。結局僕の注文したものが一番後に来た。僕の注文したものはフライドチキンにトマトやタマネギなどの野菜をマリネしたものをかけた物だったが、塩加減が薄い。塩を振るとまずまずの美味しさになった。しかし、他の人たちも同様で、テーブルに置かれた塩に手を伸ばしていた。香港の女性は、美味しくないと言って残してしまった。唯一美味しく食べていたのは、香港の男性の頼んだ日本食のようだった。ご飯に味噌汁、鶏のテリヤキと言った物だ。後になって気付くことになるのだが、ここの 料理はどれもこれも塩加減が薄く、もしかしたら塩を振って下味を付けるなんてことはしていないのであるまいかと思われるほどなのである。何を食べても締りの無い味で、唯一、日本食だけが別であった。リゾートで出される料理としてはちょっとお粗末な気がする。リゾートの関係者の皆さん、そこのところの改善をお願いしますよ。 話題に花開き、笑顔が絶えない。僕は話している内容を通訳する役目もしていたが、ひとしきり話した後に、ざっと内容を話すと言うおおざっぱなもので、しかもつい役目を忘れてしまう。しかし、彼も分からないなりにも楽しんでいるようで安心した。その場の雰囲気や、知っている単語が出てくることで、なんとなく分かることもあるのである。しかし、そう勝手に思い込んで良いものだろうか??? その後、彼の口から「少しは英語も勉強しなきゃ。」なんて言葉があったので、それで良かったのだと今は思うことにしている。白状するが、その時は楽しくて彼に気を回すことなど殆どしていなかったと思う。改めて、ここで謝っておきたい。しかし、英語が苦手だからと言って、e-mailのアドレスを教えてもらったのだから、メールを出さないなんてことは決してないようにね。文章が下手でも間違っていても良いのだ。十分に相手も分かってくれるはずである。要は気持ちなのだからね。友人が増えるのは、とても素敵なことなのだ。 食事が済んで、隣のメインラウンジに移動した。これからポリネシアンダンスショーが始まるのだ。説明によると、このショーはポリネシア各国のダンスを見せる催しであるとのことだった。 メラネシアを含めたその文化圏を考えると、ハワイからタヒチ、フィジーやニューカレドニアと言った広大なものである。その大半が海なのであるから、舟などの海上輸送手段がよほど発達していたのであろうと想像できる。海流を利用し移動して行ったのであろうが、そんな昔にそれだけの技術があったと言うことが驚きである。ただ単に、勇気や勢いだけで渡りきれる距離では無いのだ。 僕らはBOX席に陣取りビールを注文した。いよいよダンスの始まりである。テンポの良いリズムと共に小麦色の肌の若く小柄な女性が二人現れた。植物の葉(椰子?)で編んだ腰巻を付け、リズムに合わせて小気味良く腰を左右に振って踊る。ゴムマリが弾むような腰の動きである。ちょっとやそっと練習したからと言って出来る代物ではない、見事な動きなのである。それは、アラブのベリーダンスの妖艶とは異なり、若々しい健康的な美しさがあった。上半身の伸びやかな曲線の動きと対照的に、下半身は激しく左右に動きまたローリングする。その動きはまさに驚愕である。どこをどうすればそのように動くのか不思議なぐらいであった。その静と動の一体となった踊りはポリネシア人の穏やかな人柄と、熱い情熱を表しているかのようである。 会場の照明が落とされ、次ぎに現れたのは男性のダンサーだった。彼は棍棒を手にしていて、それに火を点けた。オレンジ色の炎が暗い会場を照らす。すると火の点いた棍棒をぐるぐると回しはじめたのだ。ファイヤーダンスの始まりである。男の引き締まった体を中心にして炎が舞う。そして、その軌跡が宙に残る。火には人の心を捉える不思議な力がある。そのためか、国を問わずあちこちで火祭りと証する祭りがあるのも事実だ。ファイヤーダンスもまた、火の魔力に魅せられ生まれたものなのだろう。今では特に珍しいショーではないが、南の島のこの地で見ることで、少なからず普段とは違う感覚で楽しめたと思う。 ファイヤーダンスが終わると、再び二人の女性が現れ踊り始めた。そして、ショーも終演に近付いたころ、ダンサーたちが一緒に踊ろうと観客を連れ出し始めた。これも、お決まりであるが楽しい。そうなると陽気なスタッフたちもそれに参加する。一人また一人と連れられ、前の人の腰に手を当てる。人の帯が次第に長くなっていく。スネークダンスだ。これなら誰でも参加できる。ただ、掴まって後を付いて行けば良いのである。帯は会場を抜け出し。観客席にまで入り込んできた。先頭を仕切るスタッフが僕らの手を引いて参加を促す。勿論、それに加わるのは言うまでもない。日ごろ控えめな生活習慣であったとしても、それは別である。楽しむこと、それが一番なのだ。海外旅行をしていると、そんな場面に出くわすことがたまにあると思うが、もしそれで恥ずかしがって遠慮していた生真面目な方がいたとしたら、騙されたと思って一度加わってみると良い。今までの自分から開放される快感がそこにはあるはずである。すると、世界がずっと広くなるのだ。まあ、とにかく楽しもうってことだね。 僕らは長い人の帯となり会場を練り歩く。それに呼応して蛇はどんどん成長していく。陽気なビートの間で歓声と笑い声が響き、皆の顔が向日葵のように明るく大きく開いていた。
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翌朝午前8時半、朝食を取りにママヌカレストランに行った。レストランに人の姿はまばらだった。多くの人がリゾートの朝をのんびり過ごしているのだろう。朝食はバイキングスタイルで、ソーセージやベーコン、豆の煮物や野菜などがあった。日系のロッジらしく、米と味噌汁もあったが、さすがにここまで来て食べることもないだろうと、その朝はアメリカンブレックファーストにした。 オムレツはその場で焼いてくれ、出来立ての熱々を食べられる。勿論オーダーしたのは言うまでもない。その味は朝食の中で一番美味しかった。ベーコンや生野菜のサラダもまずまずである。しかし、ソーセージは食べた後に何か妙な癖が残る。香辛料かと思うが、その後味の悪さはひどかった。(まさか、保存料の味ではないだろうね?)それから、パンがまた美味しくないのだ。焼いてから時間が経っているのか、全てパサパサで、水分を口にしないと飲み込めないほどである。このことも来る前にWebで知っていたのだが、まさかズバリそのものだと思っていなかった。大概美味しくないと書いてあったとしても、その人の主観であるので当てにならないこともあるからだ。しかしそのパンは、食べられなくはないが、態々好んで食べたいとも思わない、そんな代物だった。 朝食に関しては、翌日から、食べないと思っていたご飯と味噌汁を食べるようになった。それらは日本で食べるのと何ら変わらない出来で美味しかった。このことは僕にしても驚きだった。それと言うのも、旅行に出掛けると、日本食を取ることは殆ど無いからである。 食後に、たっぷりミルクを入れたコーヒーを飲む。時計は9時を過ぎた頃だった。次第に人の数が増えてきたので、席を立った。 午前10時前、僕は水着に着替え、タオルを肩に引っ掛け、スノーケリング機材とカメラを持ってノースビーチに向かった。珊瑚はどんななのか期待感が高まる。Webで見たものはどれも「綺麗だ。」と言う表現以外にはあまりなく、唯一数枚の水中写真があったぐらいで、全く知らないと言って良い。 僕はまずバーのテラスに立って、海を眺める。誰もいない。波は殆ど無かった。引き潮が始まっているようで、白浜が広く海側に広がっていた。どのポイントが良いか海の色を見ながら見当をつける。とは言っても勘にたよるだけである。海の色の変わる位置が一番岸よりの場所にすることにした。つまり、深くなっている所まで行く最短ルートを選んだのである。 テラスの階段を下り白浜に出る。浜の奥には三角屋根が海岸に沿って幾つも並んでいる。椰子の葉葺きのビーチパラソルである。それがいかにも南国らしくて良い。その下には白いビーチチェアが二つ並んでいた。僕は西に10メートルほど進み、先ほど見当を付けた場所を正面に見られる三角屋根の下に行き、荷物を降ろした。それから体を動かす。海に入る前に、十分にストレッチをする必要があるからだ。日ごろの運動不足で弛んだ筋肉は柔軟性も失っているようで、伸ばすとピリピリと心地よい痛が走った。準備完了である。 マリンシューズを履いて海に入る。潮が引いているので、そのまま歩いて進む。海草の密生した場所を進むが、でこぼこした岩があり歩きにくい。シューズを履いていて正解である。裸足で歩くのは危険だし、フィンを履いて歩くにはなかなか難しいのだ。海草の群生が切れるあたりまで来てからフィンを履く。そして、マスクを顔に当て、スノーケルを銜えた。腰を落としてゆっくりと水中に入る。マスク越しに薄茶色の凸凹の地面が見える。その中を色鮮やかな小さな魚達が泳いでいた。浅くなった水面を窪んだ場所を選びながら這うように進む。次第に深さが増してくる。すると、白く薄茶色になった珊瑚が現れてきた。白化現象で死んだ珊瑚で、硬い石灰質の形骸だけが残っているのである。全世界規模で珊瑚の白化現象が発生していると知っていたが、こうやってまざまざと見せ付けられてしまうと言葉を失ってしまう。特定の地域だけの話ではないことからも、地球規模の環境の変化が起こっているのを感じる。その廃墟と化した白い城の間を、色鮮やかなチョウチョウウオやスズメダイが遊んでいる。そのコントラストが妙に淋しい。先に進む。すると青やピンクの柔らかな光が見えてきた。幾つも枝を伸ばした珊瑚の先端が輝いているのだ。生きている珊瑚である。さらに進んで行くと、大きな岩があり、その先はいきなり深くなっていた。ドロップオフだ。岩の根元には、さっきまで見ていた手のひらサイズの魚ではなく、腕ほどの大きさの魚がゆっくりと泳いでいた。僕は岩をぐるりと回り、ドロップオフに沿って泳ぐことにした。 ほんの少し泳いだ時だった。突然、色鮮やかな世界が僕の目の前に現れた。水中が一気に華やぎ、青や紫、緑やピンクに輝く珊瑚の群生が複雑に重なり合って広がっていた。明るい太陽光が水中に何千もの光の束を落とし、ゆるやかに揺れている。神々しいまでの輝きの中を魚たちが泳ぐ。そして、水中に差した光の束は、微妙に屈折率を変え分散し、珊瑚礁を光の網で包み込んでいた。珊瑚自体が発する柔らかな光も輝きを増している。太陽が珊瑚を育てているのだ。元気な美しい珊瑚礁がそこにあった。 それからと言うもの、時間を忘れひたすら珊瑚や魚を見ながらカメラを向けた。珊瑚礁の魚たちは色々な種類がいて、とても楽しい。ふと、ドロップオフの岩壁に鮮やかな黄色の固体が二つ見えた。近寄ってみると、レモンピールエンゼルフィッシュだった。その小型のヤッコは目の周りにブルーのアイシャドーを描いていて、とても可愛い。2匹はツガイらしく、互いの尻尾を追いかけるように、くるくる回ったり、追いかけっこをしたりしていた。どうやらこの岩壁をテリトリーにしているらしく、その後も毎日来て見ると必ずいて、僕を楽しませてくれた。また、その周辺にはアジを細長くしたような体型の ササムロが群れていた。青い体に、 黄色の線が1本体側に入り鮮やかである。デバスズメダイの群れも綺麗である。エメラルド色のその魚は、群れることで数倍美しくなるのである。水中が宝石を散りばめたように輝くのだ。珊瑚礁の魚の代表と言っても良いチョウチョウウオは種類も数も多かった。鮮やかな黄色の体に青色をさっと一筆塗ったようなスミツキトノサマダイや大型のセグロチョウチョウウオ、何とも雅やかなミカドチョウチョウウオが優雅に泳いでいる。ポリプ食のミスジチョウチョウウオは僕など気にも止めないのだが、雑食性のスダレチョウチョウウオは僕に興味を示し近付いてくる。餌を与えたりして慣れてしまっているのだろう。現にそうやって近付いてくるのは他にも沢山いた。オヤピッチャやベラの仲間もそうである。カメラを向けると餌をもらえると思ってか、一斉に集まってくるのだ。しかし、そうでないと分かると去っていく。その中で、なんとも親しみを持って近付いてくる奴がいた。名前は分からないが一般的な魚の形をしていて、距離があると茶褐色の地味な魚に見えるが、近付くと体表は小さな紅い水玉模様に覆われていた。大概ツガイでやってきて、僕の傍をしばらく泳ぐのである。触ろうと思えば触れる距離である。そして、ゆっくりと去っていくのだ。そうこうする内にまた近寄ってくる。それはテリトリーを守るための威嚇行動などでは無く、極めて親しみ深く近付いてくるのだ。 珊瑚も色々な種類があり目を楽しませてくれる。テーブルサンゴやエダサンゴなどのハードコーラルが素晴らしい。その自然が作った造形美には息を呑む。ガウディの建造物を持ってしても足元にも及ばない。僕は有機的な曲線が複雑に交差し重なり合った、壮麗なカテドラルを目の当たりにして、ただ感嘆するのみ。黙ってカメラを向けるしかなかった。 僕はそうやって、午前中2時間、それから休憩を1時間取って、午後に2時間、海に浸かりっ放しでスノーケリングを楽しんだ。 午後のスノーケリングから戻る頃には潮が上がりはじめ、砂浜まで泳いで帰ることが出来た。丘に上がって(漁師言葉ではそう言う)から、ビーチチェアの背もたれを倒し、しばらく海を眺めながら休むことにした。水中にいた時はあまり感じなかったが、結構疲れているようである。頭の中が少しぼんやりした感じだった。もうひと泳ぎ出来なくも無かったが、止めた。疲れきって体調を壊すなんてことになったら、元も子もないからだ。 忍び寄るように潮が満ちてくる。午後の暖かな海水に浸かり、岸辺でゆっくりと泳いでいる老夫婦がいた。広いビーチに人影はまばらで、この広大な空間はもはや僕のためにあると思えるほどだった。日向に出ると暑いが、日陰にいるとそうでもない。穏やかな海風が火照った肌に気持ち良かった。 ブレに戻りシャワー浴びた。想像以上に日に焼けているようで、ピリピリ痛い。鏡に背中を映して見たら、真っ赤になっていた。明日からはTシャツ着用で海に入ろうと反省した。 しばらく敷地内を散歩することにした。まずサウスビーチに向かう。リゾートの敷地には椰子の木が何本も植えられていて、その中を進む。すると海岸に出る。海岸沿いには防風防砂のためか、人の背丈ほどの 、肉厚の葉を持った植物が壁のように植えられている。橋桁が沖に伸びていて、その先端から連絡船に乗降するようだ。橋桁の先端まで進む。そこから海を覗くと、小さな魚影が沢山固まって泳いでいるのが見えた。かなりの数である。体長10cm前後のイワシの群れだ。よくよく見ると、その群れの外に薄黄色の鰭を持つ30cmほどのボラがいた。どうやら捕食しようと隙を伺っているようだ。ふいに水面がざわつき、小魚が一斉に跳ねた。何者かが群れに襲い掛かったようだ。だが、すぐに平静が戻った。しかしそう思えるだけで、水面下でイワシの群れは絶えず動いていた。 桟橋を戻り、ノースビーチに向かう。途中、レセプションの前にあるフィジアンブレと呼ばれる壁の無い椰子葺き屋根と床だけの建物がある。そこに昨日夕食を共にした白人夫婦が座っていた。声を掛けると穏やかに微笑んだ。どうやら、これから船に乗って帰るらしい。せっかく知り合いになったばかりなので、少し寂しい気がした。僕らは握手し、旅の安全を祈って別れた。僕はビールでも飲もうとプールサイドバーに向かった。 夕食の時、香港から来たカップルも帰ったことを知った。それなので、二人での食事となった。彼は今日もイベントに参加したようだ。サウスビーチの桟橋付近で魚の餌付けをするものだったらしい。魚が沢山いたと言う。しかし、昨日のように一緒に食事を共にする人は見つからなかったようだ。彼はその後、南と北のビーチで泳いでいたと言った。そして、彼にとっても今夜が最後の夜だった。 僕らは、日中は行動を共にすることはなく、お互いに自分時間を楽しむことにしていた。そして、夕方にプールサイドバーで会い、一緒に食事をし、夜の催しを楽しんだ。決め事らしいものは、19時頃に食事を取ろうと言ったことぐらいで、他になかった。彼は滞在中、積極的にイベントに参加したり、初めてスノーケルを着けて泳いだりと楽しんだようだ。そして「まだ、帰りたくない。」と言った。旅先でよく聞く言葉であるが、本音でそう発せられる言葉は、その旅が素晴らしい物であったことを単純且つ明確に表していて、微笑を誘う。僕にしても、彼のお陰で2組の外国人と知り合いになれ、また楽しい時間を過ごせたのだから、彼には感謝したい。旅先で出会った人々との関りは、スパイスのように旅を味付けしてくれる。時には何倍も美味しくすることだってあるのだ。 食事が済んで、僕らはまた夜のエンターテイメントを見に行った。今日はメケと呼ばれる、フィジーの歌や踊りを披露してくれるのだ。後日、たまたま知ったのだが、このメケ・ショーを見せてくれるグループは隣島からやってきていた。また彼らの歌は、音楽CDにもなって空港やCDショップなどでも売られているのである。 会場が一旦暗くなる。アナウンスの声がしている間に、ショーを行う人たちが出てきた。明かりが点けられると、そこには民族衣装を身につけた男女が3列に並んでいた。最前列は男性で、手に竹筒のような物を持って座り、2列目は女性、3列目はまた男性と言った並びである。その前に同じような衣装を纏ったコンダクターがいた。彼は軽く腕を上げ、そしてそれを振り下ろすと同時に合唱が始まった。最前列の男性は筒で床を叩き、リズムを刻む。それに合わせて皆が歌う。奥深い所から、心を揺り動かすような、そんな響きだ。日頃、様々な音を組み合わせて作った音楽を聴きなれた僕にとって、人の声と打楽器だけのシンプルな音楽が、とても新鮮に感じられた。隊列を何度か組みなおし、また別の歌を歌う。圧巻だったのは、8人ほどの男性が隊列の前に出て踊るもので、それは戦闘の儀式を思わせた。手に槍を持ち、それを振り回したり、投げる一瞬のポーズを作ったりして男たちが踊る。その踊りは力強く迫力があった。 いつものようにスタッフが観客をダンスに連れ出し始めた。すると何時の間にか、彼はスネークダンスの一員となり、満面の笑みを浮かべ踊っていた。先頭のスタッフが声を上げると、皆がくるりと反転し、今度は反対方向に進みだす。そうやって、頭が尻尾に、また尻尾が頭にと、代わる代わる変わる。見知らぬ者同士が集まっているとは思えないほど、実に息が合っているのである。そして、彼は最後の夜を楽しむように、明るく、弾けていた。 ショーが終わり自分のブレに戻った。冷蔵庫で冷やしておいたシングルモルトとミネラルウォーター取り出す。ここで飲むために、日本から持ってきたスコッチである。グラスにウィスキーを入れ水で割る。ストレートで飲むのも良いが、気温の高い所では、水で割る方がさらりと飲めるからだ。グラスを持ってソファに深く腰を埋める。閉めたカーテンが外から入ってくる風に揺らいでいる。「ケケケケ・・・」と、どこかでヤモリの鳴く声が聞こえた。僕は日焼けで火照った体を冷ますように、冷えた水割りを喉に流しこんだ。
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妙に寝つきが悪かった。アルコールの勢いで何とか寝たのだが、夜中に何度も起き、水分を取った。それが日焼けのせいであることは分かっていた。背中が火照って熟睡出来ないのだ。そんな状況の中、気だるい朝を迎えた。午前6時には再び目が覚めたが、起きる気にならず、目を閉じたままでいた。半覚半眠の状態が続き、8時半になってようやく体を起こした。 9時に朝食を取りにレストランに行き、10時にはまたノースビーチにいた。不思議と早朝の気だるさは抜けていた。日焼け防止のためTシャツを着たまま海に入る。昨日と同じ場所だ。そして、今日もまた壮麗で美しい珊瑚礁の中で遊ぶ。二日目になると、小型の魚にも目が留まるようになる。虹色のストライプの体を持つ、 5cmほどのニセモチノウオがキョロキョロと目を動かしながら、珊瑚の影に入っていく。黄色のコガネキュセンがふと現れたと思ったら、反転してすぐにまた隠れた。ドロップ・オフまで行き、昨日見たレモンピールのツガイと再会する。なんとか綺麗にカメラに取りたいのだが、活発に動き回る彼らを捉えるのはなかなか難しい。 そうやって、しばらくその場にいると、突然大きな白い物体が視界に入った。それは人間の脚だった。顔を横にして見ると、白い丸みを帯びた脚の白人女性だった。彼女はマリンシューズを履いただけでフィンを足に付けていなかった。引き潮で浅くなっているので、近くまで歩いて来たのだろう。水中で目があったので、軽く手を上げて挨拶した。顔を水面に上げると、少し向こうに男性の姿も見えた。僕は再び海中の世界に目を移した。美しい光景を見ていると、彼らと何度かニアミスを起こした。彼らもまた、夢中になって見ているので、近寄っているのが分からないのだ。傍に来て初めて分かるのである。その度に互いに進行方向を変えるが、特に気にはならない。むしろ、彼らもまた、同じようにこの美しい世界を楽しんでいると思うと嬉しくなる。大自然の美しさに触れると、独り占めしたいなどとケチな考えは浮かばなくなる。むしろ、その美しさを多くの人に知って欲しいと思うようになるのだ。そんな気持ちが、自分のWeb siteを作るきっかけだったのは間違いない。そう言う人は結構多いのではないかと言う気がする。 いつのまにか、カップルの姿はなくなっていた。僕はまた独りになって、海面に浮かびながら魚の姿を追う。ドロップオフから珊瑚の盛繁するあたりに進んだ頃だった。うっすらと遠くから、こちらに向かって泳いでくる大きな魚影が見えた。海面と珊瑚の間をかなりのスピードで泳いでくる。頭が大きく胴の太い、灰褐色の魚だ。体長1mは裕にある。そして、10 m先を横切って行った。僕はその魚の後ろ姿を追いかけた。しかし所詮人間である。魚のスピードに付いて行けるはずもなかった。魚はあれよあれよと言う間に深遠を湛える明るいブルーの中に消えて行ってしまった。僕はなんとなく得したような気分になった。もしかしたらナポレオンフィッシュではあるまいかと思った。しかし、よく写真や映像で見る、頭に大きな瘤を持ち、縞の入ったグリーンの体とは似ても似つかない姿だった。だが、それは成魚の話で、幼魚は灰褐色らしい。しかし1m以上もある幼魚なんてあるのだろうか?そんな疑問も持った。とにかく、その魚の種類を特定することは出来なかったのである。 昨日と同じく、午前中に2時間、休憩1時間を挟んで、午後に2時間、スノーケリングをした。体力的にも1日4時間ほどが丁度良い気がした。時計を見て自分でそう決めなければ、何時までたっても帰れない、帰りたくない、そんな感じであるが、何をするにも 限度が必要である。遊ぶのにしろ、旅行にしろ、独りの場合は一切合切が自分の責任なのである。
その夜のイベントは、ボンファイヤーパーティーだと聞いて、参加しょうと思った。焚火と聞くと、なんとなく気持ちが騒ぐのだ。午後9時、プールの脇から降りたノースビーチの白浜に集まった。総勢30人ぐらいだった。椰子の枯葉にスタッフが火を点けると、勢いよく炎が上がった。ゆらゆらと揺らめく炎は、集った人達の顔のひとつひとつをオレンジ色に浮かび上がらせた。それからスタッフが炎を背に、ギターを持って歌い始めた。歌い終わって、その歌はウェルカムソングだと言った。第2次大戦にフィジーは連合国側として兵士を派遣していたのだが、兵士の帰還を祝して作られた歌だそうである。フィジーの歌は、その後ハワイなどにも広がって、本当か嘘か定かではないが、エルビス・プレスリーにも影響を与えたと言っていた。 僕らはスタッフに言われるまま、オーストラリア、ニュージーランド、日本の各チームに分かれた。それ以外にスロベニア人が二人いて、計4チームとなった。そして、チームごとに自国の歌を披露することになったのである。幸か不幸か分からないが、僕が日本チームのリーダーになってしまった。皆で何を歌うか話し合うがなかなか決まらない。その内、スロベニアの二人が歌い始めた。次にニュージーランド、そしてオーストラリアと続いた。最後の最後になって僕らは「世界でひとつだけの花」と言う歌を歌うことに決まった。その歌を提案したのは小学校4、5年ぐらいの元気な男の子だった。歌詞を知らない人はクチパクでお願いし、僕ら日本チームは歌い始めた。皆楽しそうに歌ってくれている。リーダーとしては一安心だった。オレンジ色に浮かび上がった白浜に歌が流れる。他の国の人々も同じように手拍子を叩いてくれている。何かちょっと嬉しいような気がした。結局、歌詞を知らなかったのは僕だけのようだった。 次に行われたのはムカデ競争だった。男女交互に並び、前の人の足首を掴む格好で進むのである。日本チームは最後にゴールとなったが、他のチームは足首を持たずに進んだとのことで、繰上げ1着となった。ここでも、愛すべき日本人の生真面目さが見え、微笑したくなる。 最後は国を問わず、皆で白浜に丸い輪を作った。中心にはスタッフがいて、彼と同じように動くゲームだ。中腰の姿勢になり準備する。「腕を上げろ!」皆、それに続けて声を発し、腕を前方に上げる。「親指を合わせろ!」「手首を合わせろ!」「腕を合わせろ!」そ して、「ブララ、ブララ、ブララ、ラ」と歌うように抑揚を付けて言いながら、左右に体を揺さぶるのだ。次にまた同じように始まるが、「膝を合わせろ!」が加わる。その次は「足首を合わせろ!」が、そして、「片足に!」となる。皆がそのゲームを楽しんでいる。僕の隣にいた小さな子供たちは、小猿のようにキャッキャッとはしゃいでいた。最後に「膝を付けろ!」で白浜に膝を付け、「ブララ・・・」とやってお終いとなった。 至極単純なゲームであるが、笑いが絶えずとても楽しかった。明るい月光の下、皆が眉を開き、口元に笑みが浮かんでいた。 それで、焚火パーティーは終わりである。終わる頃には炎は既になく、紅い小さな火が灰の中に燻っていた。キャンプファイヤーのように焚火を囲むことを想像していたのだが、それとは違っていた。しかし、 皆で楽しい時間を過ごせた満足感があった。
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サウスビーチでスノーケリングをしていなかったので、行くかどうか決めかねていたが、またノースビーチに行くことにした。やはり、珊瑚が綺麗なことと、海が穏やかで透明度も良かったからだ。その日はノースビーチの他のポイントを探してみようと思った。昨日までとは反対側に浜を進み、とりあえず海に入ってみた。珊瑚はそれなりにあるが、今まで見てきたポイントほどでもない。ドロップオフに沿ってさらに反対側に進むとだんだん珊瑚が減ってきて、岩ばかりが目立つ。顔を上げ浜の方を見ると、直ぐ近くまで砂浜が来ていた。弓状に曲がった島の先端は、幾分内側に向いているので、水が淀み、砂が溜まり易くなっているのだ。砂を被ることを嫌う珊瑚にとっては住み難い環境と言える。それが分かっただけで、もうここに留まる必要は無くなった。僕は浅くなった海を泳げる場所まで戻り、途中から歩いて荷物を置いてある場所まで戻った。そして、いつもの場所まで移動した。結局、初めに選んだ場所が、このビーチの最高のポイントだった訳である。 今日も大物が見られないかと期待して再び海に入る。いつもの紅い水玉模様のカップルが、ご機嫌伺いにやってくる。「ハイ!」とスノーケルを銜えたまま自然に声が出た。妙に親近感を感じるのだ。写真を下に掲載したので、どなたかこの魚の名前を知っていたらお教え願いたい。 (*ゴールド・スポッテッド・ラビットフィッシュと判明しました。)
この付近のドロップオフには奇妙な形の岩が2ヶ所あり、一つは橋のような形をしていて、もう一つは握りこぶしのような形をしている。その二つの岩のある周囲に珊瑚がぎっしりと群生していて、ノースビーチで一番綺麗なのではないかと思われた。ドロップオフの珊瑚の切れ目から海底を覗くように見ると、そこにはアカヒメジが群れを作り、ゆったりと泳いでいる。この魚は細長い体型をしていて黄色の縦縞があるのだが、死んでしまうと赤くなるそうで、その名がつけられたらしい。その名を付けた人は、きっと生きている姿を知らずに付けたのだろう。もし知っていたら、美しく泳ぐ黄色い魚にアカなどと、付けるはずがないからである。そのアカヒメジの泳ぐさらに奥、珊瑚の影になって暗くなっている場所にも魚が群れている。よく見ると、大きな目をした鱗の大きな魚だ。キンメダイのようにも見える。体色は黒っぽい銀色でやや紫がかっていた。セグロマツカサである。この魚はどう言う訳か日陰を好むようで、いつもそのような珊瑚や岩 の陰に隠れるようにして群れていた。 いつものレモンピールに挨拶してから、珊瑚の群生する中に入る。珊瑚を傷つけないよう気配りしながら進む。5cmほどの、全身にコンペイトウをまぶしたような、カラフルな可愛い魚が、その細く伸びた口で珊瑚の間を突付いてはふわふわ泳いでいる。テングカワハギである。その色使いと言い、形と言い、生きている玩具と言いたくなるほどだ った。 午後のスノーケリングの最中であった。どこかで女性の歓声が聞こえてきた。日本語で、「すごい、綺麗!!」と連発する。頭を水面に上げて見ると、日本人の若いカップルがいた。きっと新婚旅行で来たのであろう。僕は彼らの邪魔をしないようにと思いながら、再び珊瑚の観察を続けた。すると、何かバシャバシャと水の音がする。何事が起こったのかと音のする方を見たら、なんと、男が珊瑚の上に立ち上がろうとしているではないか。僕はその瞬間、腹が煮え繰り返るような怒りを感じた。彼が立った大きな珊瑚は生きている珊瑚なのだ。そこまで成長するのに何年掛かったか想像出来ない、そんな立派な珊瑚だった。その上に立って、彼女にカメラを向け写真を撮っていたのだ。怒鳴りたい気持ちを抑え、様子を伺っていると、すぐに珊瑚から降りたので許すことにした。楽しい新婚旅行を台無しにするには忍びなかったからである。しかし、また同じことをしたら、その時は構わず注意するつもりだった。それには及ばなかったので良かったが、しかし、著しく気分を害されたのは確かだった。緊急な場合はしかたないとしても、 珊瑚には触れないと言うマナーは守ってもらいたいものである。たぶん、彼らはそのマナーさえも知らないのだろう。予備知識として知っておくことぐらい最低限してもらいたいものである。またリゾートにおいても、パンフレットに一行書くだけでなく、到着時の説明の時に、海のマナーについて話してもらいたい。切にそう願うものである。 高音に響く歓声が聞こえなくなった。二人はどうやら浜に帰っていったようだ。僕は水面に浮かび、再び自分だけの時間を楽しむ。エダサンゴの根元に、触手の先が丸い大きなイソギンチャクが開いていた。その中にオレンジ色のクマノミが2匹いた。白い帯が一つだけ首にあるハマクマノミである。体の大きなメスが、僕の存在に気付き近寄ってきた。クマノミは縄張り意識がとても強く、僕を威嚇しに来たのだ。顔をこちらに向け、僕を睨み付ける。しかし、僕にとっては、その行動さえ愛らしく思える。何度かカメラを向けてみたが、そのチャームな怒った顔を撮ることは出来なかった。残念である。まだまだ修行が足りないと言うことか。しかし、逆に思いがけない一枚を撮れることもある。カラフルなベラなどは、動きが素早く、撮ろうと思ってもなかなか撮れない。しかし、偶然に撮れるなんてことがあるのだ。それもまた写真の面白みの一つでもある。 妙に長い体の魚が2匹いた。胴も口も長い。アオヤガラである。2匹とも1本の棒のように体をピンと伸ばしている。近付いても逃げる様子はない。もしかして、あれで擬態しているつもりなのであろうか? それとも、危害を加えないのを分かっているのかもしれない。ここでは、魚や貝の採取は 全面禁止になっているからである。 水面にほど近いところに幾つかの透明な物体が浮いていた。近付いてみると、イカである。その透き通った体はうっすらと青や紫色を帯びて、とても綺麗である。さらに近付くと、僕にストレスを感じたのか、体色が濃くなった。しばらく一緒に泳ぐ。イカの体は降り注ぐ太陽の光を受けて、何色にも輝いていた。生きているイカは、美しく、透明で、優雅であった。
潮が次第に満ちてきた。時計はもうすぐ午後3時になろうとしている。もう少し遊んでいたかったが、帰ることにした。ゆっくりとフィンで水を蹴って進む。海草の群生している場所まで戻ると、チョウチョウウオやツノダシの幼魚がいたので、道草を することにした。波に揺れる海草群は珊瑚礁とはまた違った不思議な魅力があった。海草の間でヒメジやベラが根元を探りながら餌を探していた。チョウチョウオを撮影した後、ふと何気なく見た手元の岩の間が何やら動いている。驚いてよく見ると、蛇のような長い体の生き物であるのが分かった。10cmほどの岩の隙間から、不規則な斑模様の体がにゅるにゅると動いていたのだ。確定出来ないが、たぶんウツボであろう。少し驚かされたが、これも楽しかった。僕は道草を止め、戻ることにした。結局、今日は大物には出会えなかったが、それは運が良ければの話であり、全く気にすることはなかった。ちょっと、嫌な気にさせられたこともあったが、楽しい海中散歩であった。マナの海は、毎日素晴らしい光景を僕に見せてくれていた。
ディナーを終え、またメインラウンジに行く。今日の夜のイベントはサプライズパーティーだった。びっくりパーティーである。何がびっくりなのか分からないが、始まるまでの間、ビールを飲みながら、ステージで演奏されている音楽を聞くことにした。 午後9時になり、パーティーが始まる。どうやら、ゲームを楽しむと言った趣向のようだった。スタッフに連れられ、何人かがステージ前の広場に出てきた。その様子を見ていると、ふと目が合った。昨日、一緒に浜で歌った男の子である。すると彼は、顔中笑顔にして手招きしながら僕を呼んだ。そんな笑顔で呼ばれたのでは、行かない訳には行かない。僕もまたゲームに参加することになった。 そのゲームは生き残りゲームだった。音楽の鳴っている間は踊り、止まると、4方の柱に取り付く。そして、スタッフが 空のコカコーラのボトルを床で回し、それが止まった時、頭の向いた側の柱にいた人は脱落となるのだ。残念ながら、僕らは早々に脱落してしまった。元いたテーブルに引き返そうとしたら、男の子の家族がこちらに来ないかと言うので、加わることにした。やはり皆でいる方が楽しいからだ。 次のゲームを前に、母親がスタッフに促され出て行くと、それは脚線美を競うセクシーゲームなるものだった。勿論おふざけにすぎないが、それを聞いて彼女は慌てて戻ってきた。彼女は勢いに任せられるほど若くはないし、そうかと言って、人生の甘辛を味わい尽くし、ちょっとやそっとでは動じないほどに年齢を重ねている訳でもない。しかも、多感期な子供二人を前にしては、やはり恥ずかし くて参加できなかったのだろう。逆に子供たちに、参加しろと囃し立てられる始末だった。家族と一緒だと、なかなか羽目を外せないこともあるのだ。 今度は僕が、男版セクシーゲームに参加することになった。総勢9人、皆シャツを脱ぎ、上半身裸で並ぶ。審査員は二人の女性で、一人は体格の良い女性スタッフ、もう一人は観客席から選ばれた中年女性だった。音楽が鳴ったら、一人づつ前に出て、座っている二人の女性の前でポーズを作り、アピールするのだ。僕の番が来る。羞恥心など心の片隅に追いやって、いざ参らん。風車に戦いを挑むドン・キホーテである。ロシナンテがいないのが、心細くはあったが、ボディビルのように3度ほど「決めポーズ」を作った。そのお馬鹿加減が良かったのか、なんと入賞してしまった。一人身だから出来るパフォーマンスである。親だって、彼の地で僕がこんなことをしているとは夢にも思うまい。しかし、そこには確かに自分を解放する快感があるのである。楽しまなくっちゃね。 僕らは踊って、笑って、お喋りした。実に愉快な楽しい時間はあっと言う間に過ぎていった。皆の写真を1枚撮ったので、送ることを約束して別れた。 ブレに帰る途中、何気なく頭を上げると、ダイヤモンドを散りばめた夜空が拡がっていた。
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5日目の朝、これまでとの違いを、体を通して感じていた。妙に生暖かいのである。昨日までの乾いて爽やかな空気とは違い、湿気を帯び体にまとわり付くような空気なのだ。その原因はノースビーチに出て分かった。それまでの穏やかな海面が嘘のように波立っていたのだ。 湿気を含んだ暖かな北風に変わっていたのである。白浜には、昨日まで無かった海草の断片が、波打ち際に沿って打ち上げられていた。それでも潮の引き始めた海は泳げなくも無かったので、いつものようにスノーケリングをすることにした。今朝も海には僕以外に人はいなかった。毎回一番乗りである。 波はあるものの、水面下の世界はさほど変わった様子はなかった。しかし、浮遊物が塵のように舞って透明度があまり良くない。それに体がゆらゆらと動きカメラの照準が定まらないのだ。しかも、何故かマスクが顔に巧くフィットせず、水が少し入ってきて、左眼のレンズの下に溜まってしまう。鼻から息を出して水を追い出すが、また入ってくるのだ。気になってしまうと、我慢できなくなるもので、その度に珊瑚の無い足の着く場所まで引き返し、マスクを一旦顔から外して、また装着すると言うことを繰り返した。そんなことを5、6回繰り返しただろうか。 ようやく、マスクが顔に吸い付くようなフィット感を得て、再び体を水中に戻した時だった。直ぐ先に、1m以上ある大きな魚の姿を見た。灰褐色で、2日前に見た個体と同じではないかと思う。しかし、その距離ははるかに近く、僕の右から左へゆっくり進もうとしていたのだ。僕は魚の進行方向に向かって斜めに泳ぎ出す。魚は僕を気にする素振りも見せず、進路を変えずに進んでくる。魚の進路と僕の進路の接点が近付く。すると、彼と目が合った。体のバランスからすると目の大きさは普通なのだが、体自体が大きいので、その丸い目も大きく、瞳と白目まではっきり見えた。その距離は3mぐらいだった。僕の前を通過していく時も、視点を僕に置いている。そして、キョロリと瞳を動かしたかと思うと、前方を見据え、ゆうゆうと去って行った。僕は興奮を覚えながら、その後を追った。そして、その時になってようやくカメラを手にした。しかし、距離は縮まることは無く、消え去ってしまった。勿論、カメラにもその姿を収めることは出来なかった。しかし、不思議と悔しくなかった。むしろ、肉眼でずっと魚の様子を見続けたことの方が嬉しかった。カメラなんて構えている余裕など無いのだ。僕はその巨大魚との遭遇に感動を覚え、じわじわと嬉しさが込み上げてきていた。 波に揺られながら、しばらく珊瑚礁の上で観察を続ける。水面には千切れた海草が浮かんでいて、時々、頭や耳に絡みつく。海草は見た目と違って、意外に固く、ガサガサと耳の間を引っかくのである。その度に手でそれを払いのけた。ゆらゆら浮かぶ海草の間に、白い物が浮かんでいる。よく見るとビニール袋だった。最終日にこんな物を見せられるとは、と思いつつも近付いてそれを回収した。 海亀がビニール袋をクラゲと間違え食べてしまい、死亡してしまうと言う事故があると言う。綺麗だと思われる海であるが、やはり人間の影響から免れることは出来ないのだ。ここでこうやって楽しんでいること自体がそうなのであるから、それを悪いなんて僕には言えない。ただ、僕らが自然と接する時、そのインパクトを最小限にする努力は必要であるはずだ。取り返しの付かないことになってしまってからでは遅いのである。まずは自分に出来ることから始めれば良いと思う。 そんな時だった。ドロップオフの向こうから、小魚が一斉に現れ、珊瑚礁を横切って行った。何事かと思って、来た先を見るが、乳白色に濁ったブルーが見えるだけだった。突然、もの凄いスピードで魚影が現れた。長い六角形の体で、後方の3つの角にそれぞれ大きな、鎌状の背鰭と尻鰭、そして二股に割れた尾鰭が付いていた。それは、いきなり現れ、進路を変えたかと思うと、ビュビュビュッと弾丸の速さで体を左右によじりながら、一瞬の内に消えて行ってしまった。これまた1m 以上の大物である。体型からすると、大型のアジ、ロウニンアジか、カスミアジではなかろうか。小魚を追っていたのだ。捕食しようとする動きは凄い迫力で、巨大な体が素早く海中を切るのである。切れ味鋭いナイフである。僕は豪く感動し、また現れないものかとしばらく待っていたが無駄であった。 小魚が逃げて来た後、少しして巨大魚が現れた所を見ると、小魚たちは、ある程度の距離で近付いてくる捕食者を感知していたことになる。魚は体の側線で水圧を感知すると何かの本で読んだことがあるが、きっと高速で近付く巨大魚の水圧を感じて逃げてきたのであろう。本で読んで知ってはいたが、目の当たりにして見ると、その敏感さには驚かされた。また、昨日まで捕食者の姿が見えなかったのも、きっとその為で、その感覚を鈍らせる波のある今日は、まさに狩時なのだろう。 デジカメの電気切れのお知らせが液晶に表示されたので、戻ることにした。時間もお昼前で丁度良かった。僕は2匹の種類の違う大物を見ることが出来、うきうきした気分で浜に戻って行った。 午後にはこれまで行かなかったサウスビーチに行くことにした。北風に変わり穏やかになっていると思われたし、一度はどんな様子なのか知っておきたかったからだ。もし、ノースビーチよりも素晴らしかったら、それこそ残念で仕方ないと思うからである。そして、そのチャンスは今日しかなかったのだ。明朝にはマナ島を去らなければならないからである。 デジカメの電池を入れ替え、サウスビーチに向かった。僕のデジカメは単3電池を使用するタイプである。そのタイプであれば、どの国に行っても電池は同じなので使えるし、万一バッテリーが切れても、その場で電池を交換するだけで良いからである。特に電気事情の悪い場所に行く場合は便利である。 サウスビーチは思った通りにべた凪で、穏やかに海が広がっていた。Webに、ダイビングショップの前が好ポイントだと書いてあったので、そこに行くことにした。干潮なので、ドロップオフの手前まで歩いて進む。フィンを装着し、水に入ると、魚たちが出迎えてくれた。確かに魚はいた。しかし、珊瑚礁が拡がっていると言う訳ではなかった。珊瑚がない訳ではなかったが、群生と言うにはほど遠かった。昨日まで波が高かったせいか、透明度はさほどでもなかった。 ドロップオフの壁からほんの少し離れた位置に、拳を突き上げたような、つるんとした大きな岩が立っていた。その根元を見ると、青く、白い渦巻き模様の魚がいた。通称ウズマキと呼ばれる、タテジマキンチャクダイの幼魚である。僕はその魚が大好きなので、またまた見るのに夢中になってしまい、カメラを構えた時は既に遅く、青い体をキラリと光らせて、岩根の陰に隠れてしまった。何度か周囲を探してみるが、その後とうとう現れることは無かった。 僕は諦め、壁に沿って泳ぐことにした。スズメダイやニザダイ、チョウチョウウオが結構いる。だが、魚の濃さにおいてもノースビーチの方が濃かった。ただ、珊瑚があまりないので、隠れ場所が少なく容易に見られるのは間違いない。水面近くを20cmほどのカマスの群れが泳いでいた。 ムラサメモンガラを見つけ、その後を追いかけていると、後方からササムロが一斉にこちらに泳いできた。僕は、はっとなり辺りを見回す。すると、背後から大きな魚が僕の横を通って前方に消えていった。ノースビーチで先ほど見た魚影に近い。しかも今度ははっきりとその姿を眼球に捉えていた。鎌状の二つの鰭と尾鰭が美しい青に輝き、その体表にも青く輝く斑点が見えた。カスミアジである。大きさは、 先ほどノースビーチで見た物より、小さめだったが、それでも1m近くあった。 僕は彼の泳ぎ去った方向に壁にそってしばらく泳いだ。すると、壁がU字型に凹んだあたりに、先ほどの大型のアジがいたのである。彼は壁に沿うように、ゆっくりと周辺を回っていた。そうやって捕食するタイミングを計っているようだ。僕は、これはチャンスとばかりに、カメラを向けた。しかし、これまたなかなか思うように撮れない。結局何とか見られる写真は2枚だけであった。何度かぐるぐると回ったと思ったら、また小魚の群れがサッ逃げ出した。そして、それをカスミアジが追いかける。だが、それはさほどスピードがなく、彼も真剣に追っている風でもなかった。 サウスビーチはノースビーチの美しさにはとても適わないが、それでも楽しかった。波が穏やかであれば、ノースビーチよりもずっと楽にスノーケリング体験が出来ると思う。初心者には絶好の場所かもしれない。そして、そこで慣れてからノースビーチに行くと、更に感動は深まるだろう。魚たちの動きを見ているだけで、時間が過ぎて行くのを忘れてしまう。 不意に汽笛がなり、顔を水面に上げる。連絡船が来たのだ。桟橋からは距離があるので問題はなかった。そして、次に汽笛を聞いた時は、連絡船が帰っていくところだった。これが、思いがけず、僕に新たな感動を起こさせるきっかけになるとは思っても見なかった。 エントリーした先の、拳を突き上げたような大岩の傍で、そろそろ戻ろうかどうかと思っていた矢先だった。ザーと響く水流が聞こえたかと思うと、大量の小魚の群れが太い帯となって、僕の後方から右横を通り過ぎていた。僕は慌ててカメラを向ける。まだ魚の帯は続いている。その速さからも何メートルも続いているのが分かる。それが、突然ふっと切れた。そして塊のまま去って行った。 ほう、と一息付いたのもつかの間、今度は左横を魚の帯が走り去る。僕は体を魚の来る方向に振り返ってみた。すると、一瞬の内に帯が解け、四方八方に飛び散る。しかし、それも束の間、また合流して塊となって去って行った。それはイワシの群れだった。たぶん、桟橋付近にいつも群れているものだと思う。それが、連絡船が来たことでそこを離れていて、そして 船が去ったので、戻ろうとしていたのであろう。しかし、その小魚の群れは大物を見たのに匹敵するぐらいの迫力があった。 僕は大満足で、その充足感に浸っていると、大岩の影から、小魚がサアーと走っていくのが見えた。そして次の瞬間、すぐ目の前に先ほどのカスミアジが現れたのだ。彼も僕に驚いたようで、瞬間的に動きを止めた。かなりのスピードだったはずであるが、ピタリとその場に止まったのだ。互いに目を合わせたまま、2秒ぐらいそのままだった。そして彼は、しなやかな体をゆるりと振って去って行ったのである。その距離、実に3mと言う近さだった。心臓の鼓動が早くなっていた。突然で驚いたこともあるが、圧倒する捕食者の迫力を感じていたからである。カスミアジが人間を襲うことは無いが、それにしても、凄い物を見せてもらったと言う感じであった。身震いするような、素晴らしい光景だった。 僕は本当にラッキーだったと思う。美しい珊瑚を見られた上に、サウスビーチでも素晴らしい体験が出来たからだ。風向きが変わっていなければ、サウスビーチには入らなかったかもしれないと思うと、北風は、きっとマナからの僕への贈り物だったのかもしれないと思わずにはいられなかった。僕は本当に満足していた。こんなに充足感で一杯になったのは 久しぶりだった。 ここには美しく素晴らしい世界が広がっていた。豊饒、壮麗、柔和、剛健、優美、健康、まさに楽園だった。それは圧倒的な力で僕など屁にもしないのだが、実は繊細で華奢であることを僕らは知っている。この楽園もまた、永遠ではないのだ。そして、僕ら人間がこの楽園を守っていく義務がある。そう感じるのである。 そして、マナ島での最後のスノーケリングが終わった。
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その夜はフィジーの郷土料理と言われるロボ料理を食べることにした。ロボ料理とは肉や魚、イモやバナナなどをバナナの葉に包み、それを熱く焼いた石の上に並べ、その上から砂を掛けて埋め、蒸し焼きにする料理である。南太平洋一帯には同様の調理方法が見られる。場所によっては、砂でなく土であることも多い。 屋外のBBQエリアの横にロボ専用の小さな調理場がある。調理場と言っても、椰子葺き屋根の下に砂が盛られ、膝の高さほどにレンガを積んで丸く囲っているだけである。そこで、 ロボ料理の、掘り出しからの一連の作業を見ることにした。食材は既に熱い砂の中に埋められていて、砂が円錐状に盛られていた。そこへスコップを持った3人のスタッフと、5人ほどのコーラス隊がやってきた。掘り始めると、コーラスが始まった。ロボ料理を取り出すのは、神聖な儀式なのだろうか? そんな気がしたが、もしかしたらリゾートのイベント的要素が強いのかもしれない。ザクザクとスコップを差して砂を取り除いていたのが、慎重に払いのけるような動きに変わった。すると、茶色に変色した椰子の葉が出てきた。砂を綺麗に取り去ってから、数枚重ねられた椰子の葉を取り除くと、60cmほどのバナナの葉で編んだ入れ物に包まれた幾つもの塊が見えた。それを用意していた別の籠に移す。結構な重量があるようだ。全て移し終わって、コーラスも終了した。 4人がかりで、料理を入れた籠を向かいの配膳エリアに運んだ。それをコック長らしき人物が、バナナの葉で編んだ包みの結び目を包丁で切る。それを持って、テーブルに並べられたバットの上に、ドサドサと空けて行った。食材ごとにそれぞれ袋に詰められていて、ほんわか湯気の立った肉塊やイモが次々に出てくる。肉類は、大きな豚の脚、牛、ラムのブロック肉、それと丸ごとの鶏肉があった。それに、ダロイモ、ヤムイモ、サツマイモのイモ類とバナナがあった。見るからにダイナミックな料理で、匂いもまずまずである。コック長と助手がそれを切り分け始めると、すぐに皿を手にした客たちが、そこに立ち並んだ。 僕も一連の作業を見届けてから、皿を持って並んだ。皿に取って貰うが、肉にしろイモにしろ、とにかく大きい。ブタの皮も貰った。それを持って、屋外のテーブルに着いた。一口食べて見るが、これまた塩気が無くて美味しくない。見た目がとても美味しそうだったので、がっかりである。気を取り直して、塩を振り食べたが、 肉はどれもパサパサであまり美味しいものではなかった。 しかし、である。この調理法を考えてみると、ロボ料理が決して不味いわけではないと考えられる。ここで出す物が、あくまで古来からの調理方法のままで行われているせいだと思われるのだ。すなわち、下味を付けずに、ただ単に蒸しているだけなのだ。伝統料理なのだから、それでも良いのかもしれないが、それを美味しくアレンジすることも必要ではないかと思う。 例えば、肉の部位に関して言えば、ブタのモモ(脚)より、バラ(肋骨)の方が絶対に向いていると思う。なぜなら、脂身の少ないモモは蒸すことによって、さらに油が抜け、パサパサになってしまっていた。その点バラは良い具合に油が落ち、美味しく食べられると思うのだ。見た目はブタの脚の方が格好良いが、間違いない。また牛やラムにしても、パサパサだった。皮が付いている訳ではないので、同様に油が落ちてしまっているのだ。ブロック肉をアルミホイルで包めば、もっと美味しくなるはずである。古来のロボには、現在流通しているようなブロック肉を調理することは無かっただろうし、ただ単に同じ調理方法を取っては駄目なように思う。さらに言うなら、素材によって美味しく食べるための調理時間も違うのだ。特にラム肉の好きな僕は、ひどく残念に思った。ラムの美味しさはその脂身に多くあるのだが、その美味しい所を捨てているのである。そして何度も言うが、下味である。塩をまぶし、香草を加えることで、たちまち料理は見違えることだろう。密封した料理なので、臭みを取る香草は欠かせないのだ。ほんの少し手を加えることで、料理は格段に美味しくなるはずである。 それでも、古来からのままのスタイルで行いたいのであれば、ブタや魚など、 昔から使われている食材だけにすると良い。皮付きのブタには脂身を落としすぎないと言う意味があるのだ。魚も同様である。 僕はそれを食べながら、食材が可哀そうだなと思わずにいられなかった。イベントとしての趣向だけでなく、同時に美味しいと思えるような料理を提供してもらいたいものである。皿に取り分けてもらう時のゲスト たちの顔は、大人から子供まで皆嬉しそうで、期待感で一杯である。それを裏切らないためにも、考えてみて欲しい。そして、それは何よりリゾートのリピーターを増やすことにも繋がるのだからね。 差し出がましいようであるが、ロケーションの素晴らしさも手伝って、残念で仕方なく、書かせてもらうことにした。これは、あくまで僕の味覚における主観であるので、異論を唱える方々がいたとしても、反論するつもりはない。味覚は人それぞれであるのだからね。しかし、国籍を問わず、皿に大量に料理を残しているのを見ると、ついそう思ってしまうのである。 (*2006年5月に再びマナ島に行ったところ、料理の味が随分良くなっていたことを追記しておきます。) 食事を取っていたら、雨が急に降ってきた。屋外で食事していた者は皆、皿を持って屋根のあるママヌカレストランに移動した。滞在中、初めての雨だった。最後の夜に降るなんて、これまたラッキーと思えた。雨が降ると海の透明度も落ちるし、まず泳ごうと言う気が削がれてしまう。また、島の中をあちこち歩き回ると言ってもたかが知れている。そうなると、本を読むか、バーでビールでも飲むことになるだろう。そう思うと、やはりラッキーだと思うのだ。 食事を終え、メケ・ショーを見てから、ブレに戻ることにした。帰り支度をしなければならないが、一人でゆっくりマナの夜を感じたかった。バーでビールを貰い、それを持って帰る。雨は小雨に変わっていた。濡れた芝生の上を歩いていると、ヒキガエルが一匹いた。悟りを得た禅坊のような顔でこちらを見ていたが、方向を変え、よっちよっちと跳ねながら木の根元に消えた。 ブレに戻り、まずは帰り支度を済ませる。それから、ソファーに深く座り、ビールを飲んだ。小さな雨音が耳に心地よい。昨日までの高揚した気持ちが、穏やかな満ち足りたものに変わっていた。ひとしきり遊んで乾いた喉を潤すように、雨がしっとりと僕に染み込んでいった。
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北からの暖かな湿った風のお陰で、昨夜はよく眠れなかった。蒸し暑くて何度も目を覚ましたのである。それこそ、タオルケットでも持っていれば、床に敷いて寝たいぐらいであった。もし、これが毎日であったらエアコンが無いと辛いかもしれない。しかし、それは爽やかな春の日本から来たばかりだからであり、蒸し暑い真夏の日本からだったら、むしろこちらの方が過ごしやすいかもしれない。そんな気もする。 マナ島最後の朝食は、ご飯と味噌汁、野菜サラダで軽く済ませた。コーヒーにたっぷりミルクを入れカフェオレにして、それを持って屋外の海の見えるテーブルに行った。今朝はまた爽やかな南風に戻り、ノースビーチは穏やかだった。しかし、昨日打ち上げられた海草が沢山白浜に残っていて、景観を悪くさせていた。 波の打ち寄せる音を聞きながら、カフェオレを啜る。毎日僕を楽しませてくれたノースビーチが呼んでいるように聞こえる。また波の間で遊びたい、そんな思いが自然と湧き上がった。しかし今日 、ここを去らねばならないのだ。僕は碧く輝く海を眺め続けていた。 午前10時15分頃に、連絡船のタイガーⅣはサウスビーチの桟橋に着いた。ここで下船する人たちが明るい笑顔で降りてくる。それが済んで、入れ替わりに僕らは乗船した。オープンの2階席で潮風を感じながらクルーズするのも良かったが、皆が上に上がるのを見て、天邪鬼な僕はエアコンの効いた1階席に行くことにした。 係留していた縄が解かれ、定刻通りに出発した。海は穏やかで、揺れも殆どない。青い海の上をタイガーⅣは何度か他のリゾートアイランドを経由しながら、ナンディ港に向かった。 ナンディ港に着くと、ツアーガイドの女性が出迎えてくれた。これから宿泊するホテルに連れて行ってくれるのである。僕と同じホテルに泊まるのは、母親と息子らしい二人連れだけだった。僕らはバンに乗り込み、ドミニオン・インターナショナル・ホテルに向かった。日本に戻る旅行者は大概ナンディに泊まることになる。それは、帰りのフライトが午前10時と言うことで、希望する、しないに関わらず、空港に近いナンディに宿泊することになるからだ。 ホテルはナンディタウンと空港の中間辺りにあった。こざっぱりとしたホテルで、敷地には庭やプールもある。部屋は広く清潔だった。シャワーはあるが、バスタブは無かった。新婚の甘い贅沢をする向きにはいささか雰囲気がないが、普通に旅行する分には全く問題なかった。 ガイドさんが、タウンに行くのであれば、車に乗せていってあげると言ってくれたので、その親切に甘えることにした。ガイドさんはフィジー人であるが、日本語が上手だった。話を聞くと、静岡で日本語を学んだそうだ。僕をタウンに降ろしてから、車を乗り換え、先ほどの親子とナンディ周辺の観光地を回るらしい。マナ島はどうだったかと聞くので、勿論素晴らしかったと答えた。しかし、食事があまり美味しくなかったと言うと、それをメモに取っていた。旅行会社でも、そう言ったモニター活動をしているようだ。 タウンに入り、ナッズ(Nad's)と言う土産屋の前で降ろしてもらい、礼を言って別れた。この土産屋は日本語を話せるスタッフがいるらしく、何か困ったことがあったらここに来ると良いと教えてくれた。とりあえず入ってみることにする。すると、店主らしき男性が現れ、飲み物でもどうぞと僕を2階に案内しようとした。僕は戸惑いを覚えたが、僅かな金額しか入っていない財布の緒を硬く結びなおし後に続いた。2階に上がると、若い日本人カップルがジュースを飲んでいたので、気分的に安心したが、かと言って押し売りだけはされないぞと、身構えていた。ビールを飲むかと聞くので、ジュースを貰うことにした。無料であるが、ここで借りを作りたくはないと思ったのだ。 奥のカウンターに連れられて行くと、細く美しい女性がいた。僕はカウンターの椅子に座り、出されたジュースを飲む。彼女は日本語が話せるので、何かあったら遠慮なく聞いてくれと、男性は僕に言って去って行った。つまり、彼女が僕の担当と言う訳だ。彼女はインド系の若い女性で、年齢は20歳前後と思われた。とても端整な顔立ちをしていて、笑顔の可愛い、すらりとした美人である。名前はアシカと言った。彼女はカウンターに定番のお土産を出して説明を始めた。ココナッツから作られた石鹸やチョコレートなど、どれも大して高くない、むしろ安い物ばかりである。親切丁寧に説明する可愛らしい声を聞きながら、僕のきつく縛った心は、あれよあれよと言う間にふにゃふにゃのよれよれ、だらしなく伸びきってしまっていた。 その後、店内を物色している間も、彼女はちょっと離れた所に立って、一切押し売りなどしなかった。かと言って、始終気にかけてくれていて、木の彫り物やカヴァの道具を見ていると、色々と説明してくれた。時折日本語に詰まって、恥ずかしそうにするのがまた可愛い。その度に英語で良いよと僕は笑って言うのだ。もし鏡で自分の顔を見たら、熱を加えたモッツァレラのように、でれでれのとろとろになっていたかもしれない。僕はいつの間にか、何か買って帰らなきゃと言う気持ちに変わっていた。男とはそう言う生き物なのである。 結局買ったのはTシャツ2枚と石鹸3個、それに木彫りのイカの置物である。この後、町を散策してから帰ると話すと、帰るまで荷物を預かってくれると言ってくれ、お願いした。 メインストリートを歩く。お洒落なブティックやお土産屋が並ぶ通りである。ナンディは本当に小さな町なので、メインストリートを15分も歩けば、町の端から端まで行けてしまう。しかし、さすがに交通量は多い。バスも多く走っていて、窓ガラスのないものはローカルのバスだ。窓ガラスのあるバスは、空港との間を行き来するシャトルバスで、主に観光客が利用する。タクシーも多く、あちらこちらで駐車して客を待っていた。マーケットがあると知っていたので、メインストリートを外れ、適当にありそうな方向に歩いてみる。大まかな位置は確認していたので、たぶんあるはずである。そこへ、ひょろりと背の高い男が英語で話しかけてきた。挨拶程度に話をして、別れ際、彼にマーケットは何処かと尋ねたら、案内してくれると言う。言葉に甘えマーケットに連れて行ってもらった。午後 のマーケットは、のんびりとした雰囲気が感じられ、カヴァの素となる乾燥させた胡椒科の植物ヤンゴナの根や、野菜が売られていた。 ぐるりと市場を見終わった後だった。安い土産屋を紹介してやると男が言った。そこで気付くべきだった。しかし、 その時の僕は、妙な安心感を持ってしまっていて、見るだけと思って彼の後に続いて行った。メインストリートに出て、向かい側にその店はあった。中に入ると、カヴァを飲んでいる最中で、一緒にどうかと勧められた。無料だと言う。靴を脱いで、パンダナスと言う植物で織られた茣蓙のような敷物の上に座る。カヴァの儀式に使う、タノアと言う洗面器大の木製の器があって、そこに細かく砕いて粉末にしたヤンゴナと水をいれて混ぜ合わせると白濁した液が出来上がる。 これがカヴァである。それをビロと呼ばれるココナッツの実を半分に割って作ったカップで飲むのである。飲むには作法があって、先ず飲む前に3度手を叩く。それからカヴァの入ったカップを受け取り、それを一気に飲み干す。 残してはいけないのだ。そしてカップを返して、再び3度手を叩くのだ。何杯か飲んでみたが、あまり味もなく、これと言った特徴も感じられなかった。ピリッとした刺激があると聞いていたが、アルコールに慣れた舌には、弱すぎるようだった。 カヴァを飲んだ後、店の中の土産品を見てくれと言う。そこから押し売りが始まった。カヴァのセットを持ち出して、200 フィジードル(1F$=約60円)だと言い出す始末だ。僕はそんな大金は持っていないと断る。すると友達じゃないかと情に訴えだす。いい加減頭にきた。しかし、一応カヴァを飲んだ手前もあり、本当にお金を持っていないのだと財布の中身を見せたら、ようやく納得した。その時僕は40ドルぐらいしか持っていなかったのだ。それでも、腹は立つとは言え、カヴァの儀式を教えてもらったこともあるので、ザリと呼ばれる木製の棍棒を買った。それは昔の武器で、先が二股に分かれていて、片方は斧のようになっている。それを敵に振り下ろす訳だが、それだけではない。二股に分かれた部分で相手の首を押さえつけ、そしてぐるりと返して首の骨を折る 、なんてことも出来るのだ。なんとも恐ろしい武器なのである。 帰り際、僕に店を紹介した男は気まずいと思ったのか「問題ないか?」と声を掛けてきた。まさか僕がそんな小額しか持っていないなんて思っていなかったのだろう。奴に同情されたくないので 、「No Problem」と言って、そこを出て行った。 彼らは僕を日本人だと知って、お金を持っていると思ったのだろう。たぶん、そうやって何人もの日本人が高い買い物をさせられてきたのだと思う。しかし、僕は彼らの予想に反し、すってんてん。熱いハートはあるが金は無いってきたもんだ。これじゃあ、 いくら情に訴えてみたところでどうにもならないって訳である。僕は初めに買い物をしておいて良かったと思いつつ、ザリの代金にはカヴァの儀式の受講料も込みだと考えて納得することにした。 その後、またマーケットに行った。数枚写真を撮って帰ろうとしたら、白髪を短く刈った老人に呼び止められた。立ち止まると、売り場の中に入ってこいと言う。先程の一件もあり慎重になっていた僕はそれを断った。すると、老人はちょっと待てと僕に言って、傍にある洗面器に入ったカヴァをコップに取って、差し出したのだ。僕は習いたての作法でそれを受け取り、ぐいと飲み干した。老人はそれを見届けると嬉しそうに笑った。僕は礼を言って、そこを離れた。しかし後になって、失敗したなと思った。彼の親切心を受け、中に入り一緒に話でもしていたら、またひとつ素敵な体験が出来たに違いないと思ったからだ。明らかにその老人は、親しみから僕に声を掛けてくれていたのだ。それにも関わらず、前の一件で極度に不信感を抱えていた僕は、その場の空気さえ読めなくなっていた。残念である。 大したことは無かったが、旅先での久しぶりの失敗である。でもまあ、旅の笑い話ぐらいにはなるかな? 皆さんも怪しい土産屋にはご注意を!! 夕食はホテルで取ることにした。レストランのコースメニューもあったが、バーのメニューにあったピザを食べることにした。お腹が空いていたので、大きいサイズを注文した。熱々のピザが持ってこられ、食べてみるとなかなか美味しい 。ピリッと辛いチリが効いていてビールにも合う。チリは注文する時に加えるよう頼んだのだ。マナ島で食べたどの料理よりも、この一品の方が美味しかった。僕は直径30cmはあろうかと思われるそのピザをペロリと食べてしまった。
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エアコンの利いた部屋は涼しく、久しぶりに毛布を肩までかけて寝た。前日の寝不足もあってか、ぐっすりと眠ることが出来、溜まっていた疲れも抜けていったような気がした。朝、起きるとまだ薄暗かったが、時計を見ると午前7時を過ぎていた。ベッドを抜け出して、窓の外を見ると雨である。重く垂れ込めた雲が空いっぱいに広がっていた。昨夜寝る前に見たTVのニュース番組でも、後2、3日雨が続くと言っていた。東部のバヌアレブ島では大雨のため被害が出たようだ。つい先日までの、晴天が嘘のようである。ナンディでこのような状態であるから、マナ島もたぶん雨だろう。今日、島にいる人たちはがっかりしているかもしれない、などと思いつつ、また改めて運が良かったと思うのだった。 支度を済ませ、部屋を出る。Tシャツ1枚では肌寒いくらいの気温である。レセプションに行き、チェックアウトを済ます。迎えはまだ来ていなかった。それまでの間、一緒に来た親子と話をした。母親の方は、マナで見た珊瑚に豪く感動した様子で、スノーケリングの楽しさに嵌ってしまったようだ。 迎えの大型バスがやってきて、僕らはそれに乗り込んだ。バスはシェラトン等、何ヶ所かホテルに立ち寄ったようで、日本人ばかりの先客が結構乗っていた。空いている席に座り、しばらく走っていると、腿にひやりと冷たい物が当たった。何かと思ったら、天井から雨漏りしているのだ。通路側の席に移動すればそれで済むことだが、雨漏りするバスに出会ったのは、久しぶりだった。しかし、ローカルのバスはどうなのだろう。初めから窓ガラスが無いのだから、雨漏りどころの騒ぎではない。バスを降りたら全身びっしょりなんてこともありえそうだ。 バスはナンディ空港に到着した。いよいよフィジーともお別れである。イミグレーションを通り、免税店を冷やかし程度に見る。2Fの出発フロアーにも多くの免税店があった。観光の国らしく、空港は綺麗で清潔感があり、店もおしゃれな感じである。働いている人たちを見ると、インド系 の人が多い。フィジーの経済活動は主にインド系の人々を中心に動いていると聞いていたが、空港においてもそれが見られるような気がした。フィジーだけでなく、世界に目を向けてみても、インド系、中国系、ユダヤ系民族は類まれな商売気質を持っているようである。移民となって異国の地に行っても、その商才はいかんなく発揮され、その国の経済を牛耳っていることも少なくない。 また、旺盛な開拓精神 も併せ持ち、世界中に拡がっているのである。もし君が海外に出て、お米のご飯が恋しくなったら中華料理屋を探すと良い。日本料理屋はなくても、中華料理屋は大概あるのだ。但し、味は保障の限りではないけどね。 出発フロアーの中ほどに売店があって、そこではサンドイッチなどの軽食も食べられるようになっていた。僕は僅かに残ったフィジードルで、マサラティーを買った。紙コップにティーバッグとお湯を入れただけである。砂糖とミルクは自由に取れたので、ミルクを少し入れた。 薄いお茶を啜りながら、搭乗ゲートが開くのを待つ。その間に僕はデイパックからデジカメを取り出して、電源を入れた。自動再生にして、これまで撮った写真を液晶に映し出す。真っ青な海と空が現れる。フィジアンブルー。深く、透き通った、引き込まれそうになる青だ。そして、輝く珊瑚、美しい魚。つい昨日までの夢の世界がやってくる。画像が変わる度に、それが何処で撮ったものなのか、瞬時に思い出され、豊かな楽しい日々の記憶が頭の中いっぱいに拡が ってくる。いつのまにか僕は、フィジアンブルーの中へ泳ぎだしていた。 終わり 05/08/2004 |
フィジーの青い海と空に包まれ、豊かな気持ちで、ゆったりと過ごすことができました。これからフィジーに行こうと思っている方がいらしたら、ちょっと自然や環境のことも考えてみてください。するときっと、もっと大きな感動があると思いますよ。 Ted
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