SWITZERLAND
Beautiful Days
スイスのグリンデルワルトに滞在し、その周辺をハイキングしてきました。
美しい景色や可憐な花々に見とれ、ついつい歩きすぎてしまいます。
涼しく爽やかな風は、歩きつかれた体にとても心地よいのです。
ワンダフルワールド(July 2004)
Chapter
グリンデルワルト バッハアルプゼー ファウルホルン
ミューレン アフター・ハイキング シュティーレック エンジェル 3年ぶりに着いたチューリッヒ・クローテン空港は、以前に降りた時と全く様相が異なっていた。ガラス張りのビルディングは近代的で明るく、中央には大きく通路が取られていた。通路を足早に進み、エスカレータを降りると、そこにはエアロトレインが待っていた。「あれ、こんなの無かったよな?」と思いつつ乗り込むと、すぐに出発した。しばらく走って着いた所も見慣れない場所だった。エスカレータを上り、表示に従って出口に進むと、パスポート・コントロールがあった。さっそくパスポートを提示する。何処に行くのかと聞かれたので、グリンデルワルトだと答えた。一人旅だと、よく質問されることがあるが、今では、それは一種の挨拶みたいなもののように感じている。むしろ、何も聞かれずにスイと通り抜けられる時は、逆に物足りない気がしてくるのだ。言葉を交わすことが、なんとなく楽しいのである。 荷物が出てくるのを待っていると、此処が前と同じなのに気付いた。それでようやく分かった。空港には新たにサテライトが建設されていたのだ。そして本館とサテライトを繋ぐのが、先に乗ったエアロトレインだったのである。 僕は以前、ダッフルバッグを持って旅行をしていたのだが、キャリーハンドル付きのスーツケースを購入してからと言うもの、それを使うようになった。やはりキャスターが付いていると楽である。僕のスーツケースは樹脂製であるが、ヨーロッパでは、布張りが主流らしく、しかもそのどれもが黒色なのである。これでは似たような物が多くて間違え易いような気がするが、他の色のケースは殆ど見かけないのは何故なのだろう。ふとそんなことを思った。 荷物を受け取り、止められることもなく税関を抜けた。まずは両替をしなければと、3階の出発ロビーにある両替窓口に行った。わざわざ出発ロビーに行かなくても、と思うだろうけど、大概空いていてすぐに両替出来るのである。それと、昔何かの本で読んだ、入国の際、出発ロビーと到着ロビーとでする両替では、出発ロビーの方のレートが良い、なんて内容が頭の片隅にこびり付いていて、貧乏根性を出している訳である。でも、たぶんスイスではどちらも同じなのではないかと思う。
両替を済ませ、駅に行く。駅は空港に隣接していて、雑貨屋やレストランなどもあり便利である。さっそく切符を買うために窓口に向かった。窓口で、いつものようにハーフフェアトラベルカードを購入し、同時にグリンデルワルトまでの往復切符も購入した。ハーフフェアトラベルカードとは旅行者が購入出来る、鉄道やバスなどの料金を半額で買えるカードである。スイスパスなどでは割引率の少ない、登山鉄道やゴンドラリフトなどの料金も半額になるのである。ハイキングを目的とした、滞在型旅行には持ってこいのカードなの
だ。しかも、1ヶ月間有効なのだから嬉しい。それで99sfr(1sfr=約90円)である(以前は90sfrだった)。3日もあれば元は取れてしまうのだ。勿論、グリンデルワルトまでの往復切符も半額で、しかも片道料金で別個に買うよりも割安になる。今回はずっとグリンデルワルトに滞在する予定なのでそうしたのであるが、片道づつ買って、行きと帰りを別コースにするのも良いと思う。行きに世界遺産に登録されているベルンに寄って、帰りは美しい景色の続くパノラマ特急に乗って湖の町ルツェルンに寄る、なんてのも面白い。ベルンとルツェルンは僕のお気に入りの街でもあるのだ。こ
ぢんまりとして、そぞろ歩きを楽しむには打って付けである。 14:40。僕はプラットホーム3番からIC828特急に乗り込んだ。
今回のスイス行きは、突然思い立ったものだった。この突然と言うのが僕の旅行の半分を占めていると言って良いぐらいである。出発の1週間前に思い立ち、3日前に格安航空券を手に入れ、同時に馴染みのホテルにe-mailで予約を入れた。久しぶりにスイスの山々を見ながらハイキングしたい。そう思ったのだ。利用した航空会社はエミレーツ航空で、ケニアに行く時などに良く利用している。機材やサービスも良く、しかも格安で航空券を手に入れられたのでラッキーだった。エミレーツ航空のアテンダントはヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系など国際色豊かである。関空に乗り入れるようになってからは、日本人搭乗員も多くなったようである。時に少年のようにハッと心がときめいたりすることもあり、いささか恥ずかしいが、それも嬉しいものである。成田には就航していないので、関東近辺からだと、羽田から関空で乗り継ぐことになる。成田までが遠いので、羽田出発は気分的にも楽であった。ただ、ドバイ経由となるので、着くのは翌日の午後1時半ぐらいであった。 ベルンでICE73特急に乗り換え、インターラーケン・オストに向かう。空港からオストまでの直通電車もあるのだが、その時はたまたま無く、そうなっただけである。車窓からの風景は以前と変っていなかった。しばらく走ると進行方向の左手に青い水を湛えた湖が見えてきた。トゥーン湖である。前に見た水の色は、もっと白味を帯びていたように思うが、柔らかな夕暮れの光が水を青くさせているのだった。真昼の太陽の下では、きっと乳青色に見えるはずである。湖面には何艘かのヨットが浮かび、傾いた夏の光の下で白い帆が輝いていた。湖の街シュピーツに停車し、次にインターラーケン・ヴェストに停まる。その次が終点のオスト駅である。オスト駅からは登山鉄道であるベルナーオーバーラント鉄道(BOB)に乗り換え、グリンデルワルトに向かうのだ。 オスト駅に着くと、BOBは遅れているようで15分ほど待った。紺に黄色に塗り分けられた車両がプラットホームに入って来た。新車両である。その間に茶色とクリーム色に色分けされた旧車両も連結されていた。僕は入ってきた先頭に近い位置の旧車両に乗り込んだ。オスト駅で折り返し運転をするので、発車すると後方部になる。それと言うのも、BOBは途中、ツヴァイリュチーネン駅で前半分がラウターブルンネン行きに、後方半分がグリンデルワルト行きに分れるからである。古い車両は新車両と違い、木材が多く使われている。棚や窓枠も木製で温かみが感じられる。奥の壁には小さな山風景のエッチングが飾られてあった。
登山鉄道の線路の中央にはラックレールと言われる歯型のレールが敷かれていて、そこに電車の下部に付けられた歯車が引っかかって急な坂道を登る仕組みになっている。つまりレールは3本あるわけである。なので、通常の電車が走る音とは異なった音が聞こえてくる。カーブを曲がる時には、グォーンと低く唸るような音が鳴り響くのだ。ツヴァイリュチーネン駅で電車は二つに分れ、僕らを乗せた車両は山を登りだした。車窓いっぱいに、氷河に削り取られた絶壁が大きく肩を張っているのが見える。その絶壁から、幾本かの滝が白糸のような細い水流をはるか頭上から落としていた。目を下に向けると、線路にそって勢いよく流れる川が見える。水は白濁していて、見るからに冷たそうだ。開けた窓から入ってくる空気が次第に冷えてきているのを肌で感じた。爽やかな空気が僕を包み込んでいた。
ふいに視界が開け、その奥にアイガーがどっしりと大きく聳え立っていた。頂には雲が少しかかっていたが、その雄大な姿を僕に見せ、出迎えてくれたのだ。一気に帰ってきたと言う思いが湧き上がった。その何者をも拒んでいる
かのように見える北壁は、孤高という表現が相応しく、今もまた力強くそこに在った。僕はこの山が好きだ。この山には僕を惹きつける何かがあるのだ。洗練された、研ぎ澄まされた刃物にも似たその壁は、冷たく過酷に拒絶しているかのようであるが、しかしその麓には、優しく緑に包まれたグリンデルワルトを育んでいる。それは、まるで村を守っているかのようである。僕がグリンデルワルトに滞在する理由はそこにあったのだ。
緑の斜面の中に家々が見える。草刈作業をしている親子の姿があった。中学生ぐらいの女の子が、父親を手伝っている姿が微笑ましかった。いつしか懐かしい感情が潮の満ちてくるように静かに僕を包んでいた。 18時半頃、BOBはグリンデルワルトに到着した。 電車を降り、向かいの道路を渡って少し進むと、登り坂がある。そこを荷物を引き摺って上る。するとすぐに、斜面に引っかかるように宿泊するホテルが見える。ホテル・ゾンネンベルグである。初めてスイスに来た時からずっと利用しているホテルなのだ。ホテルから見る景色は、高台にあるため遮るものはなく、アイガーを真正面に見られ、絶好のロケーションなのである。しかも料金も手ごろなので嬉しい。
坂を左に折れ、細い道を更に登る。登るに連れて傾斜角が大きくなる。この登り坂が結構大変なのだ。息を切らせながらも、ようやく辿り着き、懐かしい気持ちを抱えながらホテルの扉を開けた。すると、そこには眼鏡をかけた白髪のお婆ちゃんがいた。そして、僕を見るなり、満面の笑顔で僕の名前を呼んで歓迎してくれたのである。そのお婆ちゃんはこのホテルのオーナーだった。彼女には体格の良い娘がいて、ホテルの取り仕切りは殆ど娘に任せているようだ。その娘は一見無愛想に見えるのだが、根は良い人である。そして、その娘も受付カウンターにいて、微笑んで僕を迎えてくれたのである。そして、「いつもの部屋を取っていますよ。」と言って2階(日本では3階)の階段を上って正面の部屋に案内してくれた。
この部屋は屋根裏部屋のような感じで、窓からアイガーが見える。屋根の傾斜がそのまま天井になっていて、そこに天窓が付いているのがお気に入りの理由だ。天窓を開けると夕方の涼しい空気が入り込んできた。爽やかな山の風である。それは、ベルナーオーバーラントの山々から吹いてくる風で、万年雪に冷やされた空気が、ひんやりと冷たく心地よかった。
早朝5時過ぎ。目を覚ますと、まず天候が気に掛かり、すぐに体を起こして窓の外に顔を出した。天気は晴れ。冷たい朝の空気が気持ち良い。アイガーを見ると、朝の静寂に佇んでいるのだが、その頂だけが太陽光に照らされて、まさに黄金色に輝き始めたところだった。目を移すと、下グリンデルワルド氷河を囲むように拡がるフィッシャーホルンなどの峰々もまた、その先を輝かせていた。山頂の
青白い雪は、光を受けてピンクに色付き、それが次第に色を変え輝きを増すのである。しかし、黄金色に輝いている間はそれほど長くはない。その後は、雪は白く、褐色の壁は褐色で、日中に見るのと殆ど変わりなくなる。
当初は足慣らし程度に、まずメンリッヘンに行き、クライネシャイデックまで散歩しようと思っていたが、この天気を見て、急に予定を変更することにした。フィルストからバッハアルプゼーへ、そしてファウルホルンに登ろうと思ったのだ。朝の時間なら、きっとシュレックホルンがくっきりと見えるに違いない。フィルストから見るその山は、槍のように鋭く尖り、アイガーとはまた違った美しさがある。上グリンデルワルト氷河を麓に置き、キッと引き締まった表情で、例えるなら貴公子の風情がある。そうだとすると、アイガーはメンヒ、ユングフラウと言った淑女を守る、無骨な騎士と言ったところか。ヴェッターホルン、シュレックホルン、フィッシャーホルン、アイガー、メンヒ、ユングフラウ。その一連の峰々の連続する様を見たいと思ったのだ。
僕の予定はあくまで予定で、その日の気分次第、天候次第で如何様にも変化する。とにかく、こうしよう、ああしたい、と思っているだけで、きちっとしたプランなど持っていないのだ。それもまた一人旅だからこそ出来ることなのかもしれない。気分次第でその日の計画を立てる僕のやり方は、本人は別段変っているとは思わないのだが、友人などから見ると、かなり変っているように見えるようだ。以前、此処で知り合ったベルギーの友人などは、僕が予定を持っていないことや、電車の時間を知らないと言ったことを、不思議そうにしていた。こちらとしては、最終電車の時間さえ知っていれば、来た電車に乗って帰れば良いと言うぐらいにしか思っていなかったのだが、それが返って頼り無げに思えたのか、何かと気にかけてくれていたようだ。その甲斐あってか(?)、今でも良き友人である。この気ままさは、現代社会と逆行しているようであるが、便利になればなるほど、気ままが許されることとなるのだから、カードの裏表なのである。ケニアのマサイマラで見せる気ままさも、スイスのグリンデルワルトで見せる気ままさも、そう大差はないのだ。とは言え、気ままさの許される滞在型旅行を選ぶこと自体が、その前提にあるのだけどね。
朝食を取って、宿を出たのは午前9時前だった。途中COOPに寄って、500mlのミネラルウォーターのペットボトルを2本と、サンドイッチを一つ買って、フィルストに上がるゴンドラリフトの駅に向かった。駅の窓口でハーフフェアトラベルカードを提示し、片道切符を購入する。勿論、料金は通常の半額である。リフト乗り場に行くと、ゲートに切符を差し込むボックスがある。切符のバーコードの付いた面をそのボックスの受入口に差し込み、ゲートのスチール製の棒を押して乗り場に入った。ゴンドラキャビンは随時、次々にやってきて、乗り口で扉が開くので、それに乗り込んだ。リフトアップされる前に自動的に扉が閉まり、力を溜めるように一呼吸置いてから、背中を押される感じでキャビンはロープを伝って登りだした。
ゴンドラは緑の斜面を眼下にぐんぐんと登っていく。進行方向とは逆に座り直すと、アイガーを中心に大パノラマが展開した。朝の光の中で、山々は逆光となって、うっすらと光の靄に包まれている。ユングフラウの向こう側には雲が覆っているようで、それがゆっくりとアイガーの背に向かって動いていた。上下の二つの氷河が見える。下氷河の傍のあるシュティーレック
や、上氷河を見下ろせるグレッチャーヒュッテまで、また登ってみたくなった。グレッチャーヒュッテまでの道はかなりの登りを歩くことになるが、登りきった時の爽快感は最高である。また、その間には野生のエーデルワイスが自生していて、運が良ければ、その花を見ることが出来る。僕が登ったのは9月だったので、
花の季節は過ぎており、まだ野生のエーデルワイスの花は見たことがないが、一度見てみたいと思っている。しかし、その道はかなりの体力を要するので、日頃の運動不足で萎えている体には、「良し!」と決心しないことには、
簡単に行く気にはなれない。なので、今回はどうするか決めかねていたのである。余談であるが、エーデルワイスは栽培されていて、グリンデルワルトの店頭でも見ることが出来る。しかし、結構気付かれないもので、足を止める人は数少ない。どうしてもエーデルワイスを見たい方は、ちょっと店頭に咲く花々に気を配ってみるのも良いかもしれない。土産話ぐらいにはなると思う。下氷河に行く道も登りが続くが、バスで登山口に行く上氷河に比べ、リフトで上れるので比較的アクセスが良く、また距離も短いので行きやすい。なので、シュティーレックにはきっと行こうと考えていた。
僕は以前登った、上グリンデルワルト氷河へ続く道を見つけつつ、その道のりを目で辿りながら、崖の先に引っ掛かるように建つヒュッテを探していた。小さく、崖の染みの一部のようにヒュッテが見えた。そこに在るのを知らなければ分からないほどである。全身汗だくになって辿りついた記憶が蘇る。友と一緒に登ったその記憶は、苦しくも楽しく、そして美しい思い出だった。
リフトは濃い緑の針葉樹林帯の上を過ぎ去り、緑一面の高山帯を登っていく。この辺りでは、森林限界を超え木は育たないのだ。緑の絨毯に黄色や白、紫や青がエア・ブラシで噴かれたように散らばっている。春から夏にかけて
花が一斉に咲き、シャレーは一気に華やぐのである。振り返って、進行方向に目を遣ると、右の肩越しに滝が見えた。その白い飛沫が、届いているはずがないのに、僕をしっとりと濡らし
た。乾燥してひび割れた台地が、水分を含み滑らかになっていく。そして、穏やかで豊かな台地に変っていく。植物が育ち、鳥や虫を呼び、色彩を帯びる。「僕は生きている。」そんな実感がひたひたと静かに染み込んでくる。そして、素直になっていく自分がいる。感じたものを、感じたままに、感じとろうとする自分がいるのだ。雄大な景色と同化したい自分がいるのである。
リフトはシュレックフェルト駅で進行方向を変え、フィルストに向かった。
フィルストには展望レストランがあり、飲み物など取りながら景色を楽しむのも良い。しかし、レストランには寄らず、リフトを降りてそのままトレッキング・コースを進むことにした。フィルストからバッハアルプゼーにかけての道は整備され、幅も広いので歩き易い。誰でも気軽に歩けるコースである。初めのだらだら登る坂が運動不足の体にはちょっと負担
が掛かる。登り坂の途中のビューポイントは崖の上にあって、そこから見るパノラマ・ビューは素晴らしい。雪を頂いたシュレックホルンや3大名峰のアイガー、メンヒ、ユングフラウなどの峰々の連なる様は雄大そのもので、言葉を失ってしまう。休憩を兼ねてその景色をデジカメに撮るが、やはり収まりきれない。連続し
て撮影した写真を合成し、パノラマにしようが、その雄大さには遠く及ばないのである。しかし、その一部でも感じられればとシャッターを押すのだ。
写真に興味を持ったのは、それほど遠いことではない。写真にはそれ自体の魅力の他に、記憶の一部として、そこに在った自身の体験や感情を呼び戻してくれる。なんでもない1枚の写真が、その人にとっては、かけがいのない1枚として思えることだってあるかもしれないのだ。写真は大切な思い出を色褪せないものとして存続させる、そんな役割も果たしているのだと感じるのである。このせわしない世の中で、ふっと感じたオアシスのような素晴らしい日々が、1枚の写真で蘇ってくる。そして、それが生きる勇気に、新たな力になることだってあるのだ。逆に写真に撮れなかったものに対しても、その思いが鮮明になって記憶に残る。後になって、写真に撮っていれば良かったなどと思うと尚更である。そんな記憶が、1枚の写真を見て次々に現れてきたりすることだってあるのだ。写真には、他人に伝えると言った役割以上に、記憶の断片として、極てプライベ-トな心の襞をくすぐるような作用もすることがあるのである。その様な意味でもまた、写真は興味深いと感じている。
息を整え、ビューポイントからもう少し登ると、なだらかな下り坂になる。そこから先はバッハアルプゼーまで下ったり上ったりと繰り返すがそれほど苦にならない道である。およそ標高2,200メートルと言ったぐらいである。道の両側には花々が美しく咲き、何ども立ち止まってしまう。地質と水分量によって、花咲く植物の植生も違っているのが分かる。水の流れに近い辺りには、必ず黄色の花が咲い
ている。逆に水分量の少ない岩には、へばり付くように、高山植物の小さな花々が可憐に咲いている。派手さは無いが、過酷な環境の中で、強く逞しく咲いている、その花の美しさには目を見張る。小さな花は生を凝縮し
ているかのようである。僕は全身で感じつつ、花咲く草原を見ながら歩く。何度も歩いた道であるが、新たな感動と刺激が次々に僕の前に現れる。呼吸する度に、新鮮な空気が血流を促し、淀んで滞留していたものが動き出す。そして
体の外に滲み出してくる。意識することもなしに、自然治癒力が活性化し、働き出し、体も心も軽くなっていくのだ。歩くのが気持ち良い。そう感じていた。
丘を登った先に、青い湖が二つ見えた。奥の湖がバッハアルプゼーである。湖の周りには先に到着したハイカーたちがのんびりと休んでいる姿が見えた。この湖の水は白く濁っていない。透明である。岸辺に寄ってみると、小さな小魚が沢山泳いでいた。人影に警戒しているのか、近寄ると、避けるように群れは移動した。小魚
をよく見ると、腹のあたりが紅色輝いている。良くは分からないが、岩魚に近い魚なのかもしれない。それにしても、よくもまあ、こんな高山の、しかも冷たい水の中で生きているものだと感心した。湖岸で釣りをしている若者が2名いたが、見る限り釣果は上っていないようだった。釣りをするには、まだ水温が低すぎたのかもしれない。しかし、岸辺近くで泳ぐ多くの稚魚の姿を見ると、大物が住んでいてもおかしくないと思えてきた。
僕は向こうに、すくっと聳え立つシュレックホルンを見ながら、しばし湖からの景色を楽しむことにした。
バッハアルプゼーからファウルホルンに向かって歩き出す。湖を背にしながら登る道は、傾斜を増していく。初めは振り返って湖を見る余裕があったものの、その余裕は急速に無くなって、肩で息をし
て足元を見ながら歩くようになっていた。何度か登るのを止めて、引き返したい気持ちが現れはしたが、僕の前にも後ろにも引き返す人は誰もいなく、そんな無様な姿は見せられないと、甘く流されそうになる気持ちを、首を振って否定した。明らかに僕よりも年齢を重ねた方々の、歩く速度は遅いが、一歩一歩確実に登る姿もあり、その姿に勇気付けられた。休憩したって、登るのが遅くたって構わないのだ。登りきることに意味があり、その過程こそが重要なのだ、と妙に納得した。それからと言うもの、二度と引き返そうと言う気持ちは起きなかった。
遥か先に避難小屋が見え、まずはそこまで登ってから休憩しようと思った。歩幅が小さくなっても、とにかく一歩ずつ確実に前に進む。先程、抜き去った年配のグループが後ろにいることで、頑張る気持ちが更に高まる。休憩を入れても追いつかれるなんて、僕のプライドが許さないのだ。石ころの転がる、乾いた道を登り続け、ようやく非難小屋に着いた。僕は小屋の入り口の横にある石に腰掛け、デイパックを肩から降ろした。乾いた心地よい風がすり抜ける。登っている間は、風の存在すら感じていなかった。湖の青が、視線の下にあり、残雪が所々緑の草原の上に柔らかな曲線を描いている。遠く拡がる峰々は青みを帯び、大きく広く横たわっていた。ペットボトルを取って、栓を開けると、プシューと気体の抜ける音がした。僕の買ったミネラルウォーターはガス入りだったのだ。その水を少量口に含むと、炭酸が口の中で弾けた。うがいをすると、気圧が低いためか、更に発砲を増して口の中で泡立つのを感じた。口いっぱいに含んでいたら、きっと、ごぼごぼとあふれ出ていただろう。口と咽を濯いでから、水を吐き出し、再び少量の水を口に含むように飲んだ。発砲が一気に飲むことを妨げるのだ。しかし、すこしづつ体内に入っていく水が気持ち良い。美味しいのではなく、気持ち良いのだ。僕はペットボトルを振って炭酸を追い出しながら水を飲む。がぶがぶと飲めないが、こうやって時間を掛けて飲む方が、体には良いのでなかろうかと感じていた。炭酸が抜けるに従って、飲みやすくなり一度に飲む量も増えてくる。体もそれに対応するように、水分を吸収しているような感じがした。
5分ほど休憩したが、年配のグループに追い越されることはなかった。再び歩き始めると、不思議なことに足が軽い。鈍っていた体が、動かしたことで、動きが滑らかになってきたようだ。スポーツ選手が試合をする前にウォーミングアップをするが、それと同じ効果である。とは言え、僕のそれはスポーツ選手の何倍もの時間を必要としていたけどね。
避難小屋の先に、ブスアルプへ下りる分岐がある。ファウルホルンに登る道を選択し、進む。幾分なだらかになるが、その先にはすぐに急な上り坂が見えている。前には若い女性二人の姿が見えた。彼女たちの登っている姿もまた、僕を前に進ませる力になっていた。そう言えば格好良いが、結局、情けない姿を見せるのが嫌だったのである。「良い格好しい」なのである。こう言ったことに限らず、苦しいくせに、そう見せまいとする自分がいる。過去にもそんな自分が何度も現れた。やせ我慢をしながらも、平気を装う自分がいるのだ。泣き出したいくせに、微笑む僕がそこにいた。辛い状況になればなるほど、そうなって行った。明るく社交的に振舞う僕は、孤独だった。そんな時期もあった。今は年齢を重ねたからか、若い時のようなピリピリと電光が飛び散るようなものは姿を消し、たゆたう空気にも似た、穏やかなものが僕の中にある。今でも「良い格好しい」に違いないと思うが、そのスタンスに無理を感じないので、きっとそれが僕にとって自然体に近いものなのだろう、そんな気がする。
急坂を登りきると、ゆるやかな道が続く。両脇には小さな花々が美しく咲き、ふと立ち止まったりする。先を見ると、残雪の見える急傾斜面にパレットナイフで傷をつけたように、じぐざぐに登る坂道が山頂の山小屋まで続いていた。しかし、この急斜面を見ても、心の動揺や消沈する気持ちはなかった。むしろ、奮い立つ心の振るえがあった。登ること
に快感を感じ始めていたのだ。登りきることは勿論喜びであるが、苦しさを克服する過程にも快感があるのである。山登りを楽しむ人はストイックなエピキュリアンと言える
かもしれない。登ると言う行為に快楽を感じているのだ。そして、登りきった後の征服感にも似た達成感に包まれる。爽やかな疲労感に包まれながら、しみじみと自分で自分が好きになる。
乾いた坂道を登る。ゴールがすぐ手に届きそうな所まできている。肩で息をしているものの、足を進める速度は変わっていない。登り始めた時の弱々しい思いは完全に消滅し、ひたすら山頂を目指し登る。途中、日本人の母娘に出会った。母は老年に差しかかろうかと言う年齢で、娘は若いが既に熟し始めている年齢に思えた。二人は急坂を登っているので、ほとんど会話はない。しかし、頑張る母親と、それを見守る娘の姿が、とても素敵に見えた。
「こんにちは。」僕は、足を止めて少し休む母娘の横をパスする時に、声を掛けた。すると娘が「こんにちは。」と挨拶を交わした。母親の疲れた表情の中に、微笑が浮かんだ。それで十分だった。僕は
なんとなく嬉しくなった。それからは、心なしか踏み出す歩幅が広くなったような気がした。
山小屋に着くが、小屋の脇の細い道をさらに登る、するとすぐに頂上に出た。そこには、白人男性が一人いるだけだった。僕は頂上に立ち、360°を見渡す。目線には白い雲と、ベルナーオーバーラントの峰々がどっしりと拡がっていた。反対側を見ると、視線のずっと下に、水彩絵の具の白を混ぜたような透明感の無い、青白色の不思議な色を湛えた、ブリエンツ湖とトゥーン湖が見えた。
僕の目は、冷たくそよぐ風のように、自由に軽快に空を舞う。アイガーの北壁に沿って滑空し、グリンデルワルトまで降りたと思ったら、気流を捕まえシュレックホルンまで一気に上昇する。拡がる雲と戯れ、再びファウルホルン山頂へ戻った。太陽が近い。光の粒子が体の上ではじけている。ああ、この陶酔感!! 僕は天空人になった。
山頂で水とサンドイッチの簡単な昼食を取った。勿論、山小屋にはレストランもあり、外に出されたテーブルで食事することも出来るが、なんとなく、お弁当を持って外で食べると言うのが好きなのである。しばらく風景を見ながら体を休め、山を降りることにした。
下りでは息切れするようなことがなく楽であるが、実は登りよりも筋肉に負担がかかる。それに、靴が足に合わないのか、歩き方が悪いのか、何度も親指の爪を剥がしたことがあった。爪の背が圧迫され、力が掛かるようで、痛みを覚え、そのうち内出血で黒ずんできて、剥がれてしまうのである。今回はそんなことがないように、あまり急がず歩くように心がけていた。分岐まで降り、ブスアルプの方向に向かう。道はあるが整備されたものではなく、所々に赤いラインを白いラインで挟んだ道標が、岩に描かれている。それを目印に進むのである。整備されている道よりも、このような自然道に近い道を歩く方が好きだ。楽しくなってくるの
である。
下りになるとカメラを取り出して花に向ける余裕も出てくる。高山の花は小さいが本当に綺麗である。それが草原一杯に咲いている様を見ていると
、自然に心が和んでくる。中でもサクラソウの小さな花はとても可愛い。小指の先ほどの大きさで、ピンク色のものや青色のものがある。小さな花弁を精一杯拡げている姿は、まだ恋愛を
知らない、うら若き乙女のようである。花々を注意して見てみると、同じように見える花でも違いを見つけ、別の種類の花であると分かったりする。微妙に花や葉の形状が違っていたりするのだ。それが分かると、なんとなく嬉しくなる。花の名前は全く知らないと言っても良いぐらいだが、そんな違いが分かってくると立ち止まることも多くなる。岩場に苔のようにへばりついている高山植物の小さな花々が愛しくなってきて、そっと指で撫ぜたりする。それを摘み取ろうなんて考えは皆無である。勿論、植物を摘み取ることや、持って帰ることは禁止されているが、それよりも、その小さな花に生を感じるからであ
った。
いつしか眼下に、緑の草原に模様を描く、曲がりくねった道と、数件の点在する家が見えてきた。ブスアルプまであと少しである。道の突き当たりに広場が見える。そこにはバス停があって、そこからグリンデルワルトとの間を折り返し運転しているのだ。すると、黄色の車体のバスが登ってくるのが見えた。
広場の横にはレストランがある。そこで、冷たいビールを飲もう。僕は口笛を吹きながら歩き出した。
昨夜は夕食を取った後、そのまま自分の部屋に戻った。いつもは食事の後、散歩に出たり、ダイニングルームの隣にあるテラスで、いつまでも暮れない白い夕方を眺めたりしながら過ごすのだが、久しぶりに長時間体を動かして疲れたためか、そんな気になれなかったのだ。部屋に戻って、COOPで買った赤ワインを飲んだら、とたんに眠くなって、まだ明るい午後8時半には寝入ってしまっていた。 起きたのは午前5時過ぎ、久しぶりにぐっすり眠ったと感じた。外は既に明るく、窓からアイガーを見ると、今朝も青空を背にくっきりとその姿を見せていた。床にそのまま座り、窓枠に頬杖ついてしばらく景色を眺める。グリンデルワルト村はまだ起きていなく、車の往来や電車の動きは無かった。耳を澄ますと、チッチッと小鳥の声が聞こえる。澄んだ空気は冷たく僅かに湿気を帯びて気持ち良い。 すると、アイガーの山頂が輝き出した。それを見ながら、今日はメンリッヘンに行き、崖から望む景観を眺めてから、クライネシャイデックに向かおうと思った。当初考えていたコースである。そして、アイガーグレッチャーまで登って、アイガートレイルを歩いてアルピグレンに降りると言うルートを歩こうと考えていた。 山頂の黄金色の輝きが無くなってから、窓を開けっぱなしにしたまま、またベッドに戻った。朝食にはまだ早いし、ぐずぐず横になっているのが好きなのである。そうやっていると、ふと浅い眠りに入ることがある。いつのまにか夢の世界にいて、時にはそれが夢だと分からなくなっていたりする。以前、夢を見ながら「夢か」と言う自分がいて、我ながら可笑しくて堪らなかったことがあった。 夢の中で夢を見ていたのである。そうやって、夢の世界で遊ぶのも結構好きなのだ。夢には色が無いなどと良く言われるが、僕はフルカラーの夢を見るし、音や匂いも感じたことがある。夢も脳の活動から生まれるものなのであるから、普段、眼球を通して見る色付きの世界を夢で見る方が、ずっと自然なような気がする。色が無いと言われるのは、その記憶が曖昧だからなのではないだろうか。音や匂いにしてもそうである。 ホテルの朝食は、ハムやチーズと言った冷たいもので、所謂ヨーロピアンスタイルと呼ばれる物である。温かい物がいささか欲しい気がするが、慣れない訳ではない。パンは何種類 かあるのだが、ついついクロワッサンを取ってしまう。普段日本の柔らかいパンを食べなれている顎には、他のパンは少々固いからである。その点クロワッサンはさくさくした触感で柔らかく 、食べやすい。しかし、他のパンも小麦の香りがして美味しいのも確かである。表面を覆った硬い皮は香ばしく、その内側は、もちもちとして柔らかで、しっかりパンの味がするのだ。 それから、最後に必ず食べることにしているのはヨーグルトだった。酸味の効いたプレーンヨーグルトにジャムを入れて食べるのである。 8時45分にホテルを出た。まだ温かくなっていない空気がひんやりと気持ち良い。急坂を少し下ると、張り出した木の枝に幾つもの実がなっているのを見つけた。木を注意深く見ると、桜である。サクランボだったのだ。僕はひょいと軽くその場でジャンプし、枝に垂れ下がる小さな赤い実を一つ取った。それを口に運んでみると、甘酸っぱい味覚が拡がった。なんとなく得したような気分になった。 メンリッヘンに登るゴンドラリフトの駅は、グリンデルワルトの谷底にある。グリンデルワルト駅からヴェンゲン鉄道(WAB)に乗って、次の駅のグルント駅で降り、そこから少し歩いた所にある。グルントまではそれ程遠くないので、朝の散歩がてら歩いていくことにした。グリンデルワルト駅には、多くの電車を待つ人の姿が見えた。その中で日本人団体旅行者の姿が特に目立つ。大きな塊となって占拠しているのだ。それを見ると、やはり引いてしまう。日本人を避けるつもりはないのだが、好んで接触したいとは到底思えなくなるのである。僕は彼等を尻目に、駅の横の坂道を下った。少し進んで、ホテルの脇にある細い階段を下りた。見過ごしてしまいそうなぐらいの階段である。民家の間を通り、下の通りにまで出られる近道である。その通りはグルント駅まで続いているのだ。 道に沿って歩く。家々の窓や庭にはよく手入れされた美しい花が咲き、とても素敵である。観光用であるとも言われるが、普通の民家もそうなのだから、それ以上に、美しい生活をしたいと言う気持ちがあるのではないかと思えてくる。坂を下り、グルント駅の脇の広い道を通って進むと、グリンデルワルトバスの倉庫のような建物が見える。その横には大駐車場があり、奥にメンリッヘンに登るゴンドラリフト、メンリッヘンバーンの駅があった。赤いゴンドラが次々とワイアーを伝って登っていくのが見える。このリフトはヨーロッパで一番長いそうである。緑のシャレーの上を進むゴンドラから見る景色は、乗らなくても素晴らしいに違いないと分かるぐらいである。スイスが初めてで、時間もあまりない方々には、まずはこのリフトに乗ることをお奨めする。但し、晴れていることが条件だけどね。(それは登山鉄道も同じだが) チケットを購入し、ゴンドラに乗り込む。チケットの裏には地図が印刷されていて、記念に取っておくのも良い。駅から押し出されるようにゴンドラは登り始める。少し行くと、草原に何台ものキャンピングカーやテントが見えた。キャンプ場である。スイスはキャンピングカーを持ち込んでのキャンプが盛んなようである。キャンピングカーと言っても、ただの車ではなく、生活用具一式を全部詰め込んだような、そのまま1年だって暮らしていけるようなキャビンの乗った車である。それをキャンプ場に停めて、優雅なキャンプ生活を 送るのである。とは言え、ヴェンゲンやツェルマットのような自動車の進入を禁止している村には入れないけどね。しかし、交通機関が便利なので、それで困るようなことは無いのである。キャンピングカーをベースにして、動き回るのだ。現地での移動手段としてではなく、あくまでも宿なのである。 緑のシャレーが美しい。しばらく行くと森林帯になる。空に向かって伸びる針葉樹の間を抜けるように進んでいく。木々の先は尖っていて槍のようである。窓から見る景色は木々に阻まれ、深い緑の尖った葉と、枝に付いた葉巻状の細長い薄茶色の実が見えるばかりである。目を下に向けると、幹の間をトレッキングコースが通っていて、犬を連れた女性が登っている姿が見えた。 森林帯を抜けると、一気に展望が拡がった。雄大なベルナーオーバーラントを代表するアイガー、メンヒ、ユングフラウの雄姿が大きく広がっているのだ。その光景を見ると言葉を失う。美しさと共に、視界に入りきれない圧倒的なまでの大きさを感じ、完璧なまでにも打ちのめされたような 、爽快感に満ちた無力感に似たものを感じる。 考えたり、抵抗する余地などないのだ。ただ、その雄大さに感服し見据えるだけである。しかし、頭を垂れることはない。瞳を開き、童心に帰ったように、心のままに感じようとしている。 目はそこから離れないのだ。午前の光は、山々をうっすらと覆っている。ユングフラウ山頂は雲に覆われていた。万年雪を被った山頂は、白く輝いていた。 ゴンドラはメンリッヘンに着いた。標高2,225m。1,300mを一気に上ってきたことになる。周囲は緑の草原で、駅のすぐ傍に山岳ホテルがある。6月中旬頃に山開きのイベントがあって、アルペンホルンやダンスのショーなどが、このホテルの屋外レストランで行われたりするのを見たことがある。メンリッヘン山頂に向かって少し登っていくと、もう一つのゴンドラリフト駅があり、反対側の谷底にあるヴェンゲンまで降りている。こちらのリフトも同じメンリッヘンバーンの運行だが、ゴンドラはこちらの方がずっと大きくて、一度に何十人も乗せて昇ったり降りたりしている。そのかわり、ゴンドラは 交互に運転する2機だけである。 僕はホテルの前を横切り、向こうにある展望台に向かった。展望台には既に先客が12、3人ほどいた。空いている場所に入る。展望台は崖の上にあって、そこから深い谷底が見渡せる。古代にあった氷河が削り取った谷である。U字谷である。そのスケールの大きさに嘆息が出る。グリンデルワルト方向のなだらかな緑のシャレーとは全く様相の違う、深く切り込まれた崖に包まれた谷である。崖の下にヴェンゲンが見え、その向こうにラウターブルンネンが見える。ラウターブルンネンは滝の村で、シュタウプバッハの滝が、崖上から白い水流を注いでいた。滝の落ちる崖上 の奥には、ミューレンが見える。視線を上げると、アイガーの稜線がメンヒ、ユングフラウ、そしてブライトホルンへと続いていた。深く切り込んだ谷と雪を頂いた壮麗な峰の連なる様は、壮大な自然の力と時間の経過 を感じさせる。僕の初めてのスイス旅行は、この景観を見るためだった。それ以後、何度か来ているが、その度に感動を感じずにいられない。僕の大好きな場所なのである。 展望台の景色を満喫してから、クライネシャイデックへ続く道を進むことにした。メンリッヘンからクラネシャイデックのコースは高低差も少なく初心者でも歩きやすい。また景色も素晴らしいので人気のあるコースである。ハイカーの姿は多いが、歩くのは楽しい。スタートするとすぐに、二つの池が左下に見えてくる。池の方向に降りていく道もあるが、そのまま進む。斜面に沿うように道が続く。道の両側には花々が沢山咲いていて、歩く早さも緩やかになってしまう。ビューポイントにはきっとベンチがあって、そこに座って景色を楽しむのも良い。道の右手は急斜面になっているので、グリンデルワルト側の景色しか見えないが、それでも素晴らしい 景観である。ヴェッターホルンがグリンデルワルトを見下ろすように聳え、その後方にシュレックホルンの三角に尖った頂が見える。アイガーの切り立った壁は圧し掛からんばかりである。その足元から、緑色の草原がずっと下方に向かって広がっている。そのコントラストが美しい。スイスのこの雄大な美しい景色は、自然だけで作られたものではない。そこにはスイス人の力が在るのである。緑に包まれたシャレーは、スイスの人々が開拓し、育てたものであるのだ。痩せた土地を開墾し、緑に変えていったのである。つまり、この景色は自然と人間が作り上げたものなのだ。自然を利用し共存する、壮大な里山風景と言えるかもしれない。豊かな緑を見ると、簡単に自然と言う言葉を使ってしまうが、その中には人間の活動と深く関わりあっているものもある。そして共存の中で出来た里山は、とても美しく興味深いものである。 アイガーを見ながら歩いていたが、道は丘の内側に入り込み、しばらく見えなくなる。紅いアルペンローゼの咲く道を進む。緑の丘は色とりどりの小さな花々が一杯で、お花畑状態である。そして、夏の明るい太陽光の下で煌いていた。上り坂を登ると、丘の上に出た。それまで右側は高く斜面が視線を遮っていたのが、緩やかになり、両手を広げたように大きく展望が拡がった。そこには何人もの人たちが、ベンチや緑の草の上に座って、思い思いに休んでいる姿があった。体力的にまだまだ余裕があったので、僕は休まずに、クライネシャイデックに向かった。
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クライネシャイデックはアイガーの麓にある駅で、いつも多くのハイカーや観光客で賑わっている。ここからヨーロッパで一番高い場所にある駅であるユングフラウヨッホに登るユングフラウ鉄道の乗換駅でもあるのだ。しかし、今回の旅行ではヨッホに上るつもりはなかった。何度か行ったことがあるし、半額になるとは言え、料金もかなり掛かるからだ。それよりも、花を見ながらハイキングする方が面白く思えたのだ。しかし、ヨッホにも登る価値はあることを言っておきたい。晴れていることが前提だが、スフィンクス展望台から望むアレッチ氷河は素晴らしい。万年雪の上ではスキーを楽しむことも出来るし、犬ゾリに乗ることも出来る。雪道を歩き山の裏側まで行くことも出来る。そこには山小屋があって、そこから見る雪に覆われた景色は美しい。また、山小屋で飲む温かいスープとソーセージがとても美味しかった。しかし、山頂が雲に覆われていると、ガスっていて何も見えない。白い世界があるだけである。 クライネシャイデックにあるホテルの脇の道を登る。アイガーの切り立った壁が進行方向の先にそそり立っている。道の両側には花々が咲き美しい。昨日、ファウルホルンに登ったからか、その坂はそれほど苦にならない。右手の斜面の下を赤に黄の帯のユングフラウ鉄道が走って行った。坂を登りきり、少し下ると線路に出る。その線路を横切る。向こうから車両の来るのが見えたので立ち止まり、カメラを構えて近付いてくるのを待った。花の草原と登山鉄道を一緒に撮りたかったからだ。一応、撮るには撮ったが、もう少しズームを使えば良かったかなと思った。その先は、少しの間平坦な道が続くが、その後急な登り坂になる。しかし、ここでもファウルホルンに登ったことで、自信に似た感情が僕を前に進ませる。肩で息をしながらも、昨日に比べれば楽なものだと足が前に出る。登るのを止めるなんて気持ちは全く起きなかった。花に囲まれた山道を登り続ける。前にはユングフラウとメンヒ、そして三角錐の白く美しく輝くシルバーホルンが聳えている。登ると言う行為がとても気持ち良い。汗を流し、息を切らしながらも、登るのが楽しいのである。長い坂道を登ると、灰白色の岩場に出た。そこからアイガー氷河が見渡せる展望が拡がっていた。緑の谷の向こうに灰色のモレーンがこんもりと山になって続いている。モレーンとは氷河の流れによって作られた土や瓦礫の推積であるが、今では氷河はかなり後退していて、かってあった氷河の大きさを、そのモレーンが感じさせる。僕は岩の上に腰を降ろして、少し休憩することにした。 ペットボトルの水を飲む。その水は空いたボトルに詰め込んだ、ホテルの水道の水だった。ヨーロッパの水は硬水で、飲むには適さないと言われるが、スイスの水はそうでもない。あくまで僕の話であるが、一度も腹を壊したことはないし、蛇口から出る水は冷たく美味しい。カルシウム分が多いと言うことで、長期間飲み続けるのは良くないらしいが、旅行程度であれば問題ないのである。昨日、水を買ったのは、このペットボトルが欲しかったからでもあるのだ。水筒である。その後、帰るまでずっと水筒としての役割を果たしてくれたのは言うまでもない。 5分ほど休み、モレーンに向かって下った。緑の斜面を下ると、灰色のモレーンがもっこりと立ち塞がる。そこを一気に上った。モレーンの上にはトレイルコースがあって、ずっと先まで続いている。左手は緑の花咲く斜面が続き、右手は灰色の瓦礫が続いていた。氷河の削った跡である。その先には白いアイガー氷河があって、その根元は氷とも砂塵ともつかない灰色に覆われていた。モレーンの上では所々かなりきつい傾斜があったが、それを登りきるのも一種の満足感に似たものがあった。遥か上に見えたアイガーグレッチャー駅が近付いているのが分かるので、あと少しと頑張る気持ちが出た。 すると駅から10人ほどの日本人のハイカーたちが降りてきた。挨拶をすると、「登ってきたんですか?」と聞かれる。「ええ。」とそれに笑って答えるのだが、妙に優越感に似た感情を感じていた。登ると言う行為は、それ自体、何か付加価値が付いているような、そんな感じがするのである。 アイガーグレッチャーに着き、線路を横切って丘を少し登るとアイガートレイルの始点がある。その前にあるベンチに腰かけ、しばらく休んでから、コースに進んだ。右はアイガーの絶壁が垂直にそそり立ち、左には瓦礫の急斜面が落ち込んでいる。少し行った所に雪がまだ残っていて、注意しながら進む。足を滑らせたら、たちまち崖下に向かって転がり落ちてしまうだろう。コースは少しずつ壁から離れ、緩やかに下る。それから回り込むように緑の丘を登る。登り坂は次第に傾斜をきつくするが、それほど長い距離ではない。そして、丘の上に出た。そこには、20人ほどのハイカーが思い思いに休憩している姿があった。絶壁を背にして眺めると、アイガーの麓を一望出来、クライネシャイデックやメンリッヘン、その向こうのシーニゲプラッテも良く見えた。視線をそのまま右手にパーンすると、昨日登ったファウルホルンやブスアルプも見えた。 山から吹き降ろす、冷えた風が吹くと、汗をかいた体が急速に冷やされる。僕は、デイパックからTシャツを出して着替えることにした。汗をかいたり、急に天候が変ったりすることがあるので、着替えのTシャツと長袖のシャツ、それからレインポンチョを必ず持って行くようにしているのだ。乾いたシャツは肌に気持ち良かった。 再び歩き出す。アイガーの切り立った壁の様子が良く分かる。灰色の巨大な岩の壁である。壁の下には瓦礫の急斜面が続き、トレイルコースが、細く跡を付けている。その上を小さな人影が動いている。本当に小さな小さな人影である。人間の小ささをまじまじと感じ、そのダイナミックな光景に圧倒されてしまう。花々の咲く緑の山とは全く違った、厳しく力強い、そしてスケールの大きな景観なのだ。 瓦礫の間を進んでいると、あちこちに幾つも石を積み上げたケルンと呼ばれるものがある。大きなものから小さなものまであるが、強風で崩れたりしないものかと思うのだが、そうしてそこにあるのだから、きっと壁が風を寄せ付けないのだろう。それとも、崩れてもまた誰かが積み上げるので、そう思えるのかもしれない。 瓦礫の急斜面をじぐざぐに下る。この石ころだらけの場所は、ずっと昔に崖が崩落して出来たのだろう。不毛とも見えるガレ場だが、岩と石ころの間には小さな緑が見えていた。ガレ場を下り終わると、景観は緑に変る。少し歩くと、小さな水の流れがあった。僕はそれを跨いで、両手を流れに差し入れた。きりっと冷えた水が、一瞬に両手を引き締める。遥か頭上の万年雪が溶けて流れ出した水である。その冷たさが心地よく、両手一杯に汲み取って、顔を洗った。冷水が気持ち良い。何故か分からないが、嬉しく、豊かな気持ちになり、自然に微笑が浮かぶ。何気ないことが、幸せだと感じるのである。 先に進むと、岩の間を落ちる滝があった。滝の周りにはまだ雪が残り、滝の足元を跨ぐように雪がアーチ状に覆っていた。そして、その雪の上に足跡が続いていた。雪の橋である。きっと雪が完全に溶けて無くなると、その下には小さな本物の橋が架かっているのだろう。その先にも滝が何本かあり、進むに連れて大きくなる。コースの傾斜は緩やかで、花が沢山咲いていて歩くのが楽しい。心が軽やかになっていく。自然 と頭の中に「ワンダフル・ワールド」のメロディが流れていた。緩やかに、温かく、そして伸びやかにリフレインしていた。 ベンチのあるビューポイントで休憩してからアルピグレンに向かった。その途中で、大きな滝があった。水流がごうごうと音を立て、飛沫を上げながら落下している。傍に寄ると、霧のような細かな水の粒子が顔を濡らした。通りかかる殆ど全ての人が、ここで立ち止まり、柔らかな微笑を浮かべていた。 その先は急斜面が続き、アルピグレンがはっきり眼下に見えてくる。その頃には脚にも疲労が溜まってきたのを感じていた。楽しいと、ついつい歩く速度も早くなる。休憩をもっと取った方が良いのだが、それを忘れて歩いてしまう。しかも、疲労を感じながらもさらに前に脚を踏み出してしまう。何故なのだろうか?何の強制も義務もないのであるが、脚が前に出るのである。眠たいのに、まだ遊びたいと思っている幼児のようである。 アルピグレンに着くと、レストランの屋外にいくつも出されたテーブルの一つに着いて、ビールを飲んだ。冷たくほろ苦く、汗をかいた体に染み込んでいく。靴を脱いで投げ出した足を、そよ風が冷やしてくれる。疲れがすうっと抜けていくような、清々しさである。周りを見ると、歩き終えた人たちの、明るく満足感に満ちた笑顔が、どのテーブルにもあった。 クライネシャイデックから黄色と緑に塗られたWABが降りてきているのが見えた。しかし僕はそれには乗らずに、1本遅らせることにした。
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夜に雨が降ったが、朝には止んでいた。しかし、空は雲に覆われすっきりしない天気だった。昨日、一昨日の疲れがまだ脚に残っていたので、軽めのハイキングをしようと思っていた。コースはフィルストからグローセシャイデックへ向かう道である。比較的平坦で、楽なコースである。しかし、メンリッヘン~クイネシャイデックと比べると、格段にハイカーの姿は少なくなる。しかし、その景色は見劣りしない。こちらから見るアイガーの稜線は石器時代に作られた鏃(ヤジリ)のようである。歩く人が少ないのは、グローセシャイデックには、リフトや電車は通じていなく、バスを使用しなければならないと言った利便性からなのだろう。なので、多くのガイドブックは、グローセシャイデックからフィルストやその一つ前のシュレックフェルトに向かって歩く 方を紹介している。帰りがリフトであれば、最終時間を過ぎなければ、いつでも好きな時に乗って帰れるからだろう。しかし、グローセシャイデックに向かって歩く方が、景観は素晴らしい。逆に歩くと、フィルストを見ながら歩くことになり、雄大な山々の連なりを見るには、肩越しに振り返って見なければならないからである。 リフトに乗ってフィルストまで登る。ちょっと注意力のある方なら、途中の駅の窓に貼られた鳥のシルエットに気付くだろう。それは、リフトの駅だけでなく、山岳ホテルの窓にも見られたりする。そして、その一つ一つが全て猛禽類のシルエットであるのに気付くはずだ。もう、分かっただろうか?それは単なるデザインではなく、鳥が窓にぶつかるのを防ぐためのものでもあるのだ。それは単なる思い付きではなく、行動学の実験などでも証明されている。そんなことを発見すると、宝探しゲームでもやっているかのように、楽しくなってくる。 フィルストからは、一昨日行ったバッハアルプゼーに向かう道と反対方向に進む。緩やかな下り道である。どんより曇った空の合間に幾分青が覗いていた。道の両脇に咲く花を見ながら歩く。薄紫色の釣鐘のような形で、その先に白い小さな花びらのある花の、その形に妙に心引かれたり、真っ青な小さな花の群集している様に、はっとなって立ち止まったり、黄色のふっくらとしたボールのような花が幾つも草原から立ち並んでいるのが面白く、近寄って、その花弁の中を覗き込んだりした。 しばらく下ると、本道から分れる道があり、その向こうに何かオブジェのようなものが立っているのが見えた。行ってみると、それはマーモットの像だった。マーモットとはアルプスに棲むげっ歯類の仲間で、モルモットにも似ているが、子犬ぐらいの大きさにもなる。毛は茶褐色で、好奇心旺盛な面もあり、立ち上がって様子を伺う姿が可愛い。この辺りはマーモットの生息地らしく、このような像が立てられているのである。とは言え、ここにだけ生息している訳ではなく、フィルストやバッハアルプゼーの周辺にもいる。注意深く見ていれば、結構見つかるものである。残雪の上で遊んでいたりするのだ。メンリッヘンに登るリフトからも見たことがあるので、比較的簡単に見られるのではないかと思う。 本道を離れ、土のむき出しの道を歩く、夜の雨で、所々ぬかるんでいるが、歩き難さは感じなかった。逆に、その上に動物の足跡でもないかなと探しながら歩いていたが、そう簡単に見つかるはずはなかった。以前、雪の上にテンかイタチの足跡を見つけ、それを辿っていくと、丸い穴が雪の中にぽっかり開いていたのを見つけたことがあった。姿を見ることは出来なかったが、それでも嬉しかったのを思い出す。先には小さな沢があり、これまた小さな木製の橋が架かっていた。3歩も進めば渡りきってしまう。その先は平坦な道が続くが、左手には花一杯の斜面が続き、右手は大パノラマが在って、飽きることがない。前にも後ろにも人の姿が見えなく、まさに独り占めと言った風である。逆にそれが、孤独と心細さを、ふと一陣の風のように感じてしまうぐらいである。しかし、それをまた花々が打ち消してくれるのだ。静かな空間が、生のエネルギーで満ち溢れているのである。 アイガーの稜線が鋭さを増している。グローセシャイデックに近付いているのだ。しばらく行くと、丘の向こうから、コローン、カラーンと鐘の音が響いてきた。 牛の首に下げられたカウベルの音である。その音は、かなり遠くまで響き渡る。それが、のどかな牧場の朝を感じさせた。ぐるりと回ったところで、向こうに牛たちの姿が見えた。薄茶色に白のまだら模様の牛が数頭いて、思い思いに草を食んだり、休んでいたりしている。近付くと、近くにいる牛がちょっと気にする風にこちらを見たが、すぐに関係ないよと言うように、おっとりとした目になって、視線を宙に浮かせた。 その先で、3人のハイカーと出会った。「ハロー」と声を掛ける。「アロー」と返事が返って来たので、フランス語圏のハイカーかなと思ったりする。「グーテンターグ」や単に「ターグ」と返ってきたら、ドイツ語圏の方たちである。「グリュツェ」と来たら、地元の人だ。そんな具合に、挨拶するのも楽しい。勿論、日本人らしい人には「こんにちは」と声を交わす。最近は韓国からの旅行者も多いので、「アニョハセヨ」と言う声も聞かれるようになりそうである。何処の国の言葉であろうと、挨拶を交わすと言うのは、とても気持ちが良い。すれ違う、その一瞬に、言葉で握手するのである。この素晴らしい場所を歩いていると言う共通の意識が、強制されるのでもなく、自然に湧いてきて、微笑み言葉を交わす。それが、とても気持ち良いのだ。それからは、出会う人が増えてきた。そして、その一人一人の顔が、皆笑顔だった。 グローセシャイデックに着いたが、休む間もなく、歩き出していた。歩く楽しさに、夢中になっていたのだ。レストランを脇目に、少し降りるとチーズを保存している小屋がある。その脇を通って、車道を横切り、トレイルコースに進んでいた。当初、グローセシャイデックからバスで帰るつもりであったのだが、疲れたら、途中でバスに乗れば良いと言う考えに変っていた。道は土や石が剥き出しのでこぼこ道で、少し進むと急坂になった。背の低い潅木を抜けると、森林帯に入り、視界は一気に閉ざされる。しかし、それもまた楽しい。木々の放つ緑の芳香がかすかに鼻腔をくすぐり、気持ちが豊かになっていくのだ。 砂利の浮いた急坂を降りていると、ふと何かの動く姿に気付いた。道の両脇には木々の幹が立ち並んでいるのだけれど、道は一段下がっていて、その 間の草に覆われた斜面に何かがいた。立ち止まってよく見ると、こげ茶色の生き物である。驚かせないように、ゆっくり近付いてみると、マーモットだった。デジカメの電源を入れ、さらにゆっくりと近付く、すると、その向こうにも動く気配があった。どうやら2匹いるようである。すると、 背伸びをするように、2匹が立ち上が り、愛らしい顔をこちらに向けて僕を見た。警戒して、さっと巣穴に隠れたりするのだが、好奇心の方が勝っているようで、再び顔を出す。ふっくらとしたほっぺが可愛い。さらに近付く。これまで何度もマーモットを見ているが、これほど近付いて見たのは初めてだった。驚かさないように、ゆっくりとカメラを向けてシャッターを押した。3枚ほど撮ってから、呟くように「さよなら」を言ってから、そこを離れた。 何時の頃からか、右足首に痛みを感じていた。足首をひねった覚えはないのだが、捻挫の時に感じるような鈍痛である。しかし、それでも歩みを止めようとは思わなかった。何故だか分からないが、進もうとする自分がいるのだ。バス停のある場所まで行って、立ち止まれば良いのだが、足を進めてしまう。そこにじっとしているのが我慢できないのだ。とにかく進む。何故だか分からないが進む。いつのまにか、ホテルまで帰るのだと決めていた。 ホテルに着いたのは、午後4時頃だった。へとへとになった脚を持ち上げるようにして、2階の部屋まであがり、シャワーを浴びて、少し横になったら幾分楽になった。足首を見ると、くるぶしが幾分腫れていて、痛みがあったので、湿布を買いに薬屋に行くことにした。たぶん、これは筋肉疲労からくる捻挫なのではないかと思う。いくら考えてみても、足を変な風にくねった記憶がないからだ。つまり、その原因は日頃の運動不足に他ならないと言うことである。そして、ついつい歩き過ぎてしまう、この素晴らしい風景のせいなのであると、喜びにも似た奇妙な満足感を持っていた。
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翌朝も雲っていた。足首の痛みはあるものの、我慢出来ないほどではなかった。しかし、今日こそは、長時間歩くのは止そうと思っていた。それで、電車でミューレンまで行って、その辺りを軽く歩こうと考えたのだ。グリンデルワルト駅に行くと、今しがた電車が出たばかりで、15分ほど待たなければならなかった。ベンチに座っていると、日本人団体旅行者がぞろぞろと歩いてきた。旗を持った添乗員もいる。10人以上ともなると、旗が必要なのかもしれないが、幼稚園の引率のようで、同じ日本人として、見ている方は恥ずかしくなってくる。一人一人の着ているものは違っているのだが、何故か同じように見える。日焼け防止のためか、肘までもある白い手袋をした女性がいて、なんとも奇妙に見えた。その団体は、ユングフラウヨッホに向かうようだった。観光の定番である。しかし雲っているので、雄大なパノラマを見ることは出来ないかもしれない。タイトなスケジューリングでは仕方ないが、晴れている時と雲っている時の違いは雲泥の差であるのだ。 BOBが上ってきて、駅に停車した。僕はデイパックを持って、その電車に乗り込んだ。車内はがらがらである。少しして、WABがホームを挟んで向かいに止まった。すると、一斉に乗り込んで行く。こちらとは対照的に、すぐに一杯になった。その様子を眺めていたら、また車両がやってきた。それは、団体旅行者専用で、先ほどの日本人団体客が、ぞろぞろと乗りこんで行くのが見えた。人それぞれ、事情や性格や目的などから旅の形は色々あって当然だと思うが、それでも僕には、大勢で一緒に行動する団体旅行は出来ないなと感じた。とは言え、団体旅行が悪いと思っているわけではない。僕の趣向と合わないと言うことである。僕は名所や名物を見ることよりも、現地を肌で感じたいと言う気持ちが強いのだ。それに、慌しく移動するのも嫌なのだ。名所を見ることよりも、自分のペースでいられること、それが僕の旅の基本形なのである。そして、現地に溶け込んでいけたらと思うのだ。それが、とても面白いのである。そして、人種や言葉が違っても同じ人間なのだと感じ、さらに人が好きになってくる。とてもエキサイティングでわくわくするのである。団体旅行だと、制約がありすぎてなかなかそんなことは難しいと思う。しかも、仲間内だけで終わってしまうことも多いのではないかと、傍から見ても感じてしまう。だから、一人旅をするのかもしれない。なんて、格好良いことを言ってみたりするが、実際は、一緒に行く人がいないのも事実であり、結局、一人旅が好きなだけなのかもしれない。 BOBに乗ってツヴァイリッチーネン駅で降車し、ラウターブルンネン行きに乗り換えた。WABを使って、クラウネシャイデックを越えて行くルートもあるが、こちらのルートの方が安い。とは言え、クライネシャイデック経由の方が遥かに景観は素晴らしい。ただ、これまでに何度も乗っているし、ヨッホに向かう人が多いことからそうしたのである。川沿いに電車は進み、滝の村であるラウターブルンネンに着いた。滝の見物は帰りにすることにして、駅の地下道を通ってミューレンに向かうケーブルカー乗り場に向かった。駅には多くの人が既に並び、ケーブルカーの来るのを待っていた。これまでに見たことがないほどの人数で、人の列は駅舎の外まで出ていた。10代の学生らしい若い子たちの姿も多い。それもそのはずで、夏休みに入っていたのである。 ケーブルカーは急傾斜を崖上まで登る。そのため、車内は階段状になっていて、さながら階段ごと動いているようである。崖上のグリュッチュアルプに着くと、接続されている電車に乗り換えミューレンに向かう。電車からの風景は素晴らしく、左手にはアイガー・メンヒ・ユングフラウの名峰の並んでいるのが見える。グリンデルワルトから見るものとは違い、アイガーの切り立った壁をまじまじと感じさせるような角度から見る風景なのだ。右手は緑深い森林帯である。電車は崖のふちに沿うように進んで行った。 ミューレンは小さな玩具箱のような可愛らしい村で、なんだか心が和む。降りた瞬間から、そう感じるのである。スイスの村にはそんな所が幾つもある。ヴェンゲンもそうである。何故だか分からないが、ほっとするのだ。自然に、ありのままの自分でいれば良いと感じるのである。肩肘張らず、飾らず、疑うこともなく、自分自身でいれば良い、等身大の自分がそこに在るのだ。自然体になるのである。何故そうなるのか、それがとても不思議なのである。それはきっと、自然と文明が同時に融合するスイスだからなのだと思う。そのギャップが新たな感動となって、際立たせるのだ。悠久の時間の流れるアフリカの大地とも違い、豊かにたゆたう海の広がる南の島とも違う、不思議な、しかし心休まる何かが、そこに在るのだ。 駅の前の道を先に歩いていくと、通りを挟んでお土産屋やレストラン、ホテルなどがある。道脇に落書きされた消火栓があって、それに思わず笑ってしまった。消火栓が無精髭のオヤジになっていて、ユーモアを感じさせた。少し行くと、緑の丘にケーブルカーの線路の敷かれたアーチ型の桁が上に伸びているのが見えた。それに乗って、アメントフーベルまで行くのだ。余談であるが、さらに道を進むとシルトホルンまで登るゴンドラリフト駅がある。シルトホルンの山岳ホテルはスパイ映画の007シリーズに出ていて、あまりにも有名で知っている方々も多いのではないだろうか。 ケーブルカーに乗ってアメントフーベルに登る。乗客は僕の他に5人のヨーロッパ人だけだった。到着して、表に出てみると、靄っているが山々の連なる様子が拡がっていた。天気が良ければ、とても素晴らしい景色に違いないと確信出来るほどである。しかし、あいにくの曇り空で、山々はひっそりと佇んでいた。 少し登ってから、トレイルコースを下る。すぐに分岐があり、「花の道」と書いてある細い道を進むことにした。花の道は確かに花が咲いてはいるが、これまで歩いた道よりも少ない感じがした。7月も半ばで、標高の幾分低いここでは、花のピークが過ぎていたのかもしれない。しばらく歩くと、道は樹林帯の中を歩くようになった。そうなると、花も少なくなる。「花の道」と」言うには物足りないが、植生の変化を楽しむには良いコースである。森の中の急な坂道を下ると、小川が見えてくる。その向こうは緑の丘が見えた。下ってくる道が行く先で交差していて、前に分岐で分かれた広い道と再び合流しているのだと思う。その先には、黒い森林帯が覆っていた。 ミューレン鉄道のヴィンターエック駅が見え、その手前に開けた場所がある。僕は少し登ったところにあるベンチに座って休むことにした。雄大な山々を眺める。空は雲に覆われ、モノトーンの景色があった。マウンテンバイクで坂を登ってくる人がいた。ずっと続く登り坂を上っていこうと言うのだから、大したものである。そんな人たちが結構いて、 途中で出会ったのが小柄な女性だったのにも驚かされた。僕はとても適わないなと、自分の体力のなさを感じたと同時に、ヨーロッパ女性の強さをまじまじと感じさせられた。ヨーロッパはツールドフランスに代表されるように、自転車の人気が高い。それはスポーツだけでなく、生活の一部と言っても良いぐらいである。さっそうと 自転車に乗って通勤する姿は、街のあちこちで見られる。エコロジーの概念もそこにはあり、自然な形で実践されているのだ。ヴィンターエックには降りずに、黒い森に向かって伸びている小さな道を登ることにした。森の中に入ると、一気に薄暗くなり、そんな中を進んでいると、なにやら不安な気持ちにさせられる。引き返した方が良いのではないかと言う気持ちまで起こってくる始末だ。しかし、湿った道に足跡を見つけ、ここを歩いた人がいたのが分かると、急に安心感が出て、前に進む足取りも軽くなった。森林帯の植生は、花々の咲く緑の草原とは全く違っていて面白い。日光の差す量が少ないため、シダやコケ類が覆っている。濃い緑のコケは良く見ると、色々な種類があって面白い。しかも、美しさも存在するのである。深い森は静かである。殆ど音がしないのだ。それが、ピンと糸を張ったような緊張感を僕に与える。すぐ横から熊でも現れるのでないかと不安にさせるほどである。暗く音のしない、その空間はエネルギーに満ちていて、僕はそれを無意識に感じていたのだ。 ケーブルカーの連絡駅であるグルッチュアルプに着いたころには、空を覆う雲がブロンズ色に重く垂れ込めていた。雨具を持っていたが、雨の降り出す前に、駅まで辿り着きたいと思っていたので良かった。ケーブルカーでラウターブルンネンに降り、シュタウプバッハの滝の傍まで行ってみることにした。賑やかな通りを抜け、村の外れまであるくと、滝の落ちる場所に着いた。遠くから眺めていると、白い水しぶきが流れ落ちているように見えるのだが、近くでみると、水流は途中で霧のようになって実体を無くしている。その微細な水粒が、その下の突き出した壁に当たって、再び実体を取り戻し、壁を伝って流れ落ちていた。水流は落ち初めと、終わりに水として見えるのだが、その中間は霧となっていたのである。それを見て、何か妙に感心させられた。 滝から駅に戻る途中に、小さな雨粒を感じるようになった。それは次第に増え、駅に到着してすぐに、どしゃぶりの雨に変った。冷たい雨がビシャビシャとレールを叩き、人々は一目散にホームの軒下に隠れる。髪の先から雫を垂らしながら、ずぶ濡れのハイカーたちがやってきて、駅の軒下に入るとほっとした表情をした。雨足はさらに強まり、ホームの中にまで入ってきたので、ポンチョを取り出して着た。レールが駅の明かりに照らされて、渋く光っている。向かいの軒下では、何人もの顔が、ぼんやりと宙を眺めていた。駅舎もホテルも、山も空気も身を縮め 、冷たい雨に濡れていた。
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ハイキングから戻ってくるのは、だいたい午後4時から5時ぐらいの間で、シャワーを浴びた後は、夕食まで特に予定もなく部屋で寝転んでいたり、村の散策に出掛けたりと、気ままに過ごしていた。ショッピングには興味はないのだが、それでも夕方のとろんと溶けた光の中で、ショーウィンドウを冷やかし程度に眺めるのも楽しい。ウェンガーやビクトリノックスと言った、紅い柄のアーミーナイフがいくつも壁に下げられて飾ってあるのを見ると、思わず立ち止まり、ガラス越しにしげしげと見入ってしまう。ナイフにあれもこれもと色んな機能をくっつけた物であるが、それに機能美を感じるのである。とは言え、あまりごたごたくっついているものよりも、シンプルな物の方がよりそう感じる。しかし、同時に色んな機能が付いているものも欲しくなるのである。最近では、レザーマンやスイスツールと言った少し用途の違うタイプで、プライヤーの付いたステンレス製の物もある。見るからにヘビーデューティで、これまた男心をそそるのだ。多機能ナイフは男の玩具なのである。アーミーナイフはキャンプや旅行に持っていくと何かと便利で、僕は必ず持っていくことにしている。現地のスーパーマーケットなどで買ってきたビールやワインの栓を抜いたり、チーズやハムを切ったりするのに、重宝なのである。 グリンデルワルトにも勿論スーパーマーケットがある。COOPとミグロがあるが、ホテルに近いCOOPによく立ち寄った。ビールやワイン、おつまみにハムなどを買い、それを部屋に持ち帰って、なかなか暮れない白い夕方を眺めながらグラスを傾けるのもおつなものである。ビールは一番安いもので、大瓶の大きさ(750ml)で、日本円換算すると80円ほどである。それだからと言って不味くはないのだ。COOPで売っているのは冷えてないので、部屋に帰ると、さっそく洗面台に水を張ってビールを瓶ごと冷やすのである。水道水であってもとても冷たく、冷やすには問題ないのだ。ヨーロッパではビールを冷やさないで飲む人も多いが、スイスに限っては、どのレストランやホテルでも冷えた物が出てきたので、特にそうだからCOOPで冷やしていないって訳ではないようである。 ハムやベーコンは日本で食べるものよりも、きっと生肉に近いのに驚くかもしれない。生ハムと言っても良いぐらいである。スライスされたものを口に運ぶと、上品にうっすらと塩気をまとった肉で、柔らかなのだが、すぐには噛み切れないので、いつまでももぐもぐと口を動かさなければならない。しかし、噛むほどに肉の旨さを感じるのである。温燻とは本来こうなのだなと納得する。日本でよく口にするロースハムやボンレスハムと言ったものは、作る行程の中でボイルするので、生肉の弾力が無くなってしまう。しかし、低い温度で燻製するハムは、生肉の食感と風味を残しつつ、程よく水分を失ってさらに弾力を増す。スライスされたハムの断面は、光沢のあるルビー色の肉と白い脂肪が美しく見事である。ソーセージに関しては、基本的に製法が同じなのか、食感的には日本のそれとあまり変わりない。しかし、肉質と燻製の香りは別で、濃厚かつ芳香。肉食文化が発展してきたヨーロッパに相応しいと思わせるような物である。色々な種類があり、選ぶのにも苦労する。2本入りのパックを買って、それをハイキングの途中で食べたりするのも良い。ハムもソーセージも加工品なので、基本的にはそのままでも食べられるのである。 村のメインストリートは夕方が一番賑やかになる。ハイキングから帰ってくる人、到着した人、ショッピングを楽しむ人、レストランのテラス席で夕食前のひと時を過ごす人など、多くの人のくつろいだ表情が見られる。傾いた柔らかな光の中で、人々は日頃の喧騒から離れ、歩く早さを遅くしている。誰もが自分の歩幅とスピードで歩いている。立ち止まって気に入った絵葉書を探してみたり、スーパーでお菓子を買ったり、パッティング・ゴルフを楽しむ親子の姿に微笑んでみたり、眉を開いてゆったりとした気持ちで歩いている。彼の街で、ベルトコンベアーに運ばれているかのような、冷たく規則正しい(一見そう見えるだけである)生活が嘘のようである。 メインストリートを一歩離れると人影はまばらになり、静かな美しい村を感じることが出来る。のんびりと、小道を散歩するのも楽しい。夏の日は、ぐずぐずといつまでも暮れず明るいのだが、不思議と落ち着いた空気が草陰に漂っている。家々の軒先に飾られた花々を見ながら歩くのも楽しい。ふとリスが現れ、ふさふさの長い尻尾を揺らして木陰に隠れた。ヴェッターホルンが斜光に照らされ、浮かび上がっている。ゆったりと流れる大河の水のように、時が流れている。豊かな気持ちになっていく。 ホテルでは午後7時から夕食で、スープにフレッシュ・サラダ、メインディッシュにデザート と言ったコースメニューで、ボリュームもあり美味しい。ちなみに、今回滞在した7日間のメインディッシュのメニューを言うと、シタビラメのムニエルと茹でたポテト(マヨネーズ添え)、牛のTボーンステーキにカリフラワーとポテト 、インドネシア風鶏肉カレーとライス、ビーフの赤ワイン煮とポテト(ほうれん草バター添え)、ポークピカタとスパゲッティトマトソース、鶏のグリルにインゲンとポテト、最終日の記憶だけが定かでないが、確かポークカツレツだったように思う。カレーは今回初めて食べた。インドネシア料理は、オランダなどではポピュラーであるので、新たにメニューに加えたようだ。味は辛くは無いが、確かにインドネシア風である。聞いてみると、ココナッツミルクを使っていると言うので納得した。また、今回なかったが、チューリッヒの代表料理であるゲシュネッツェルテスと言う、仔牛肉とマッシュルームのクリーム煮も出されることも多い。味はどれもそれなりに美味しく、値段を考えると十分お得である。何せ、朝・夕食込み(ハーフペンション)で1泊sFr.95(ハイシーズン)なのである。同じ頃に泊まっていた日本の女性二人組みがいたのだが、彼女たちは食事込みのプランを知らなかったようで、それを教えてあげると、次回はそうしようと残念そうに言った。ホテルで食事をするのなら、断然お得なのである。それに、一人旅だとなかなかレストランに入り辛いし、ドイツ語で書かれたメニューを見ても分からないので、そう言った意味でも便利である。 夕食後はテラスの椅子に座って、長い夕方を眺めることが多かった。テラスからアイガーのどっしりと構える姿が見られ、ゆっくりと光が弱くなっていくのを眺めるのだ。メンリッヘンの向こうの、西の稜線近くまで 太陽が傾く頃に、アイガーが紅色に染まる。山全体が薄っすらと紅を帯びるのである。深く椅子に腰掛け、光の変化する様を見ていると、いつしか「ワンダフルワールド」の旋律が頭の中に響いてくる。そして、周りに誰もいないと、そっと口笛を吹いてみたりする。サッチモ(ルイ・アームストロング)の哀愁を帯びただみ声が、いつしか透き通った口笛に変り、静かで幾分冷たくなった空気の中に溶け込んでいく。「 What a Wonderful World ! 」と何度も繰り返したくなる。 午後8時過ぎになって、ようやく明かりが必要になってくる。それでも、まだ夜と言うには明るすぎる。長い長いトワイライトの時間帯である。人々はリラックスした表情で、お喋りしたり、飲み物を取ったり、散歩したりしながら、日の暮れるまで思い思いに自分時間を楽しんでいた。
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昨日の雨が嘘のように快晴だった。どこまでも透き通った真っ青な空を、クロワッサンを食べながら眺めていた。しかし、何処に行くかまだ決まっていなかった。それと言うのも、右足首が痛く、長時間歩くのは無理そうな感じがしていたからである。昨夜は湿布を貼って寝たのだが、朝起き上がりに見てみると、くるぶしが分からないほどに腫れあがっていたのだ。しかし、この素晴らしい天気で、外に繰り出さない訳にはいかなかった。ホテルで静かに養生するなんて、とてもじゃないが出来なかった。山が呼んでいるのだ。足の痛みを差し引いても、有り余る喜びと快感を、山は与えてくれるのだ。しかし、無理は禁物である。駄目だと感じたら、潔く帰ることである。幾つか考えたが、どうしても頭にこびりついて離れない思いがあった。氷河の近くまで行きたいと言う思いだった。それには、急坂を登ったり降りたりしなければならないので、足首に負担が掛かる。登りは良いとしても、下りは特にそうである。それで、なかなか決めかねていたのだ。しかし、この青空を見ていると、どうしても行きたくなった。それで、比較的距離の短い、下氷河の傍のシュティーレックまで行けるコースを歩くことに決めた。 ホテルを出て、フィングステックに登るロープウェー乗り場行った。乗り場には、先客は誰もいなかった。チケットを買って、キャビンの降りてくるのを待っていたら、背の高い男性職員が現れた。誰も乗っていない赤いキャビンが降りてくると、慣れた様子でデッキに出て、キャビンのドアを開けた。そして僕はそれに乗り込んだ。少しして、痩せているが、筋張った頑強そうな男と、それに遅れて中年の夫婦が乗りこんできた。職員はそれを確かめると、ドアを閉め、キャビンを発進させた。 ロープを伝って登って行く。グリンデルワルトがみるみる眼下に広がってくる。明るい緑色に包まれた村は、穏やかな朝を迎えていた。 フィングステックはグリンデルワルトを見下ろすメッテンベルクの中腹にある。駅の横にはレストランがあって、そこのテラス席からグリンデルワルトを一望出来る。駅舎とレストランの間を進むと道標があって、そこを右に駅舎の裏手を進む。すると、放牧している牛の侵入を防ぐ鉄柵があって、道はその向こうに伸びていた。鉄柵に近付くと、そこは扉になっていて、柵に掛けてある輪状のワイアーを外して中に入った。勿論入ったら、またワイアーを掛けるのは忘れちゃいない。少し先にベンチがあって、そこも村を見下ろせるビューポイントだ。その横を通って、細いハイキングコースを歩き始めた。足はたまにキュッと痛むが、それほどでもない。 道はしばらく崖に沿って森の中を歩くが、時々森が切れ、パノラマを楽しむことが出来る。グリンデルワルトに降りる分岐があり、そのまま先に進むと急な上り坂になる。そこを登って行くと、森林帯を抜け、一気に展望が開けた。箱庭のようなグリンデルワルトの村、メンリッヘンへ続く美しい緑の斜面や、シーニゲプラッテからファウルホルンに繋がる稜線が見渡せる。しかし、何と言っても素晴らしいのはアイガーの姿だった。ほぼ真横から見るアイガーは、切れ味鋭いナイフのようである。その鋭角的な山頂には白い雪が輝き、美しさと共にある種の緊迫感のある力強さを感じた。まさにナイフの持つ美しさである。それを遮るように立ちはだかっているのは、アイガーの東側の岩壁である。三角形の大きな壁となって、そそり立っていた。 道は崖に沿って登りながら、内側に回り込む。それに従って、アイガーの雄姿は壁に隠れ見えなくなる。右手は深い谷が刻まれ、振り返ると、谷の合間にグリンデルワルトの緑が見えた。登りきると、岩壁を伝うように道が更に奥に入り込む。壁伝いに少し下ってから、また登りになる。この登りがかなり急斜で、息を切らせながら登るのだが、次第に足の痛みを感じていた。どうかする拍子に、ビクッと電気が走るように痛みが貫き、ウッと溜まらず息を止める。足首を触ると、腫れているのが分かる。痛みを堪えながら、親指で患部を押さえる。溜まった血液を押し出すのだ。すると、幾分楽になった。時折そんなことをしながら、登り続けた。 深い谷を挟んで対する灰色の壁に、滝が流れているのが見える。小さなものであるが、朝の光を受けて、流れの中に虹が浮かんでいた。その頃になると、前方にフィッシャーホルンと下氷河の上層部が見えてくる。青い空と白い雪のコントラストが美しい。きつい登りが続くが、その先にスイス国旗を 掲げたポールが見えてくる。そこまで登れば、あと少しだ。ポールのところまで登ると、下氷河の全貌が見えた。少し、その場に立って氷河を見る。青白い氷の塊は、流れているような形で留まっている。その中心に、褐色の岩が楕円形状に出ている。氷河の下部は、砂と瓦礫が覆っていた。 ポールの先を下って上ると、崖の先端に辿つく。道は、崖に沿って回り込み、その向こうにシュティーレックの山小屋が見えた。その時である、ゴゴゴ…と空気を揺り動かす音がした。見ると、氷河の一部が崩れ落ちていくところだった。白い氷の小片がばらばらと流れ落ちていくのだ。しかし、それは小規模なもので、すぐに終わった。 それを見届け、僕は転落防止の手摺のある道を進み山小屋に向かった。 シュティーレックの山小屋には、先客がテーブルについて、飲み物や食べ物を取っていたり、その先の張り出した崖上に座って氷河を眺めている姿があった。僕は、小屋を通り抜けて崖先まで行き、緑の草の上に腰を下ろし、靴を脱いで、足を投げ出した。その時には、右足首は痺れて感覚が無くなっていた。患部を指で押さえ、血流を促すと、次第に感覚が戻った。 風がとても気持ち良い、寝転ぶと、草の匂いがして心が和む。太陽は明るく、空気は透き通っていた。来て良かったと全身で感じていた。黒い鳥が谷の間をゆったりと飛んでいるのが見えた。 山小屋に一頭の灰色のロバがいて、崖近くの草を食べながら次第にこちらに近付いてくる。見ていると、僕の傍までやって来て、大きな顔を近づけた。鼻を撫ぜてあげようと手を伸ばしたが、ふと顔を引いて僕のすぐ脇を行ってしまった。彼の後を目で追うと、その向こうにいるハイカーに近付いているようだった。しかし、そのハイカーも素通りして、さらに向こうにいる男女のハイカーに近寄っていった。すると、ポイと林檎が投げられ、待っていましたとばかりに、ロバはそれを食べた。それからである。彼は悪戯小僧ぶりを発揮しだし、あちらのハイカー、こちらのハイカーと近付いては餌をねだり、しまいには、ザックの中にまで鼻先を突っ込んでしまう始末だった。「No!!」と厳しく叱られそこを離れるが、反省する様子はなく、皆からもう餌を貰えないのが分かるまで、あちらこちらのハイカーたちに寄っていた。そして、とうとう諦めたのか、また元にいたレストランの向こうに帰っていった。 1時間ほどそこにいて、足を休めた。痺れはなくなっていたが、歩くと痛い。しかし、我慢できない痛さではなかった。立ち上がって、来た道を戻ることにした。 フィングステックに着いたのは、午後1時前だった。戻ってみると、気持ちはまだ歩き足らない。美しい青空も後押しして、フィルストに行こうと決めた。ロープウェイに乗って、一旦グリンデルワルトに戻り、それからリフトに乗ってフィルストまで上った。そして、どこまで行けるか分からないが、無理せずに行けるとこまで行こうと、バッハアルプゼーに向かう道を進むことにした。 しかし結局のところ、バッハアルプゼーに辿りつく前に引き返すことにした。足首がひどく痛みだし、とても無理だと感じたからである。休み休み歩き、帰りは行きの2倍の時間を掛けて戻ったのである。
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最終日のハイキングは、前日の足の痛みもあり、無理せずのんびり歩くことにした。それで、コースも楽なメンリッヘンからクライネシャイデックを歩くことにした。普段の3倍も掛けてゆっくり歩き、時折立ち止まって、道端や斜面に咲く花を眺め、写真に撮ったりした。朝 、山の頂は雲に覆われていたのだが、お昼頃には快晴になっていた。追い抜かれても気にせず、ひたすらのんびり歩いた。それもまた楽しい。明るく開けた視野は心を解放させ、温かな光が全身を包んでいる。緑の中に赤や黄、白や青の花が咲き、おとぎ話の世界のようである。出会う人は皆薄っすらと笑みを口元に浮かべている。意識せずとも自然に笑みが浮かぶのである。挨拶を交わすと、 爽やかな笑顔が返ってきた。緑の丘に座って、アイガーを眺める。逆光で青みを帯びた北壁が、孤高なまでに聳え立っている。美しいと一言では言えないものがそこにある。圧倒的なまでの自然の力と美しさ、冷たく拒絶していると同時に、温かく柔らかに包み込んでくれる のだ。ベルナーオーバーラントの山々が謡っていた。 昼過ぎにクライネシャイデックに着き、その後はその辺りの草原に寝転んで時間を過ごした。駅の裏は緑一面の緩やかな斜面で、花々が可憐に咲いている。白い雪を被った雄大な峰と、緑のコントラストが美しく、心が和んでいく。爽やかな風が頬を撫ぜ、風の流れに時間を合わせる。シルバーホルンの円錐状の白く美しい頂が輝いていた。僕は明るく美しい午後を緑の草の間で遊び続けた。 午後4時にグリンデルワルトに戻り、シャワーを浴びてから、COOPに行った。明日、帰るのに際し、自分用にあるものを買おうと思ったからだ。それは、いつもは空港で買っていたのだが、結構高額(僕にしては)だったので、そこで見つけたので買っておこうと思ったのだ。奥のワインを置いてある棚と向かい合わせの棚の裏側にそれは置いてあった。袋を一つ取って、裏書を見る。ドイツ語 は解さないが、書かれている文字の中には幾つか分かるものがあって、イメージとして捉えられるのである。そう言った意味で、英語、ドイツ語、フランス語と言ったヨーロッパ圏で使用される言語は親戚関係と言った風である。裏書を見てみると、製造元はスイスの会社なのだが、原産地は中国だ と分かった。それで安いのだなと納得したが、買うのを止めようとは思わなかった。中国産であろうと、日本ではなかなか見かけることがなく、あったとしてもかなりの値段がするのだ。僕はそれを5つ 、買い物籠に放り込んだ。 籠を持ってレジに並んでいる時である。僕の後ろにいた中年のご婦人が籠の中身に興味を示し、「それは何?」と尋ねてきた。「ポルチーニだよ。」と答えたが、分からないようだった。「ドライ・イタリアン・マッシュルーム」と言ってみたが、ピンとこないようだ。ヨーロッパ人(アメリカ人?)でも、あまり知らないようだ。「とても良い香りがして、美味しいんだよ。」と言うと、そうなんだと頷いて、また茶色く干からびたしわしわの物体を不思議そうに見た。 ポルチーニとはキノコの一種で、イタリア料理などで使われる。生では食べたことがないので分からないが、乾燥させた物は香りが素晴らしく良く、しこしこした食感で、味もまた格別である。普通、薄くスライスして乾燥させた物を袋詰めにして売っている。それを水で戻して使うのであるが、戻し汁も捨てずに必ず使うことである。香りと旨みのエキスが溶け込んでいるのだ。日本で言うなら、干椎茸のような物である。しかし、その香りは全く別物である。前に空港で購入したものは、さすがに地物で、粒も大きかったので高額だったが、味と香りが変らないのであれば、これでも良いと思ったのだ。帰国してから、早速キノコのスパゲッティを作ってみたら、その美味しさに小躍りしたね。香りを生かすには、なるたけシンプルにした方が良い。ニンニクをオリーブオイルで炒め、それにシメジなどの他のキノコを加える。それは他のキノコを加えることで食感も楽しめるからである。軽く炒まったところで、ポルチーニを戻し汁ごと加え、さっと火を通し、塩、コショウを振って味を整え、パスタに絡めて完成である。頬張るとポルチーニの香りが口一杯に拡がり、内側から鼻腔をくすぐる。個人的にはマツタケの香りよりも、ポルチーニの香りの方が好きである。もし旅行先で見つけたら、少々嵩張るが、軽いので、お土産に買って帰るのも良いかもね。 COOPを出て、ちょっとふらついていたら、今夜、お祭りがあると聞いた。最後の夜でもあり、行ってみようかなと思った。 ホテルの夕食は日本人のご婦人と一緒に取った。このご婦人とは3日前の朝に言葉を交わし、それ以後夕食を共にしていたのである。彼女も一人旅で、グリンデルワルトに1週間ほど滞在していた。そして、その後 はツェルマットに行くのだと言っていた。僕よりも年上で、明るく朗らかな女性だった。アジア雑貨が好きらしく、着ているものにもそれが見て取れた。彩度を抑えたシック なエスニック柄のアジア服を着て、その上から軽くショールを羽織っているのが、お洒落に感じた。その彼女と、食事の後、お祭りを見に行こうと言うことになった。ダイニングルームの横のテラスでお喋りしていると、何処からか音楽が聞こえてきた。時計を見ると8時である。お祭りが始まったようだ。それでは行こうと、僕らはホテルを出た。ト ワイライトのぼんやりとした薄明が村を覆っている。オレンジ色の街灯が輝き、通りを歩く人は皆眉を開いている。ゆったりとした柔らかな時間が流れ、僕らも村の中に溶けていった。 駅前のホテルの前で、スイスの民族衣装を着たバンドが演奏していた。お祭りと言っても、大規模なものではなく、ホテル主催のイベントみたいなものであった。ホテルの軒先には幾つもテーブルと椅子が出され、僕らが行った頃には、ビールやワインを飲みながら、ポテトフライなどを摘みつつ演奏を楽しむ人たちで満席になっていた。それほど多くはないが、座れない人や通りかかった人が、バンドマンたちを囲むように、路上で一緒に楽しんでいる。僕らもその中に入り、楽しむことにした。バンドのメンバーは皆男性で、中年から老年にさしかかろうと言う年齢だった。ボーカル兼クラリネット、サキソフォン、トランペット、アコーディオンにベース、そしてドラムの陽気なオジさん6人組は、スイス民謡やポピュラーソングなど演奏していた。皆の知っている曲が始まると、全員で大合唱が始まる。勿論、僕は知らないので歌えないのだが、その合唱の一員に加わりたい思いが湧き上がった。曲が変わり、陽気なサンバのリズムを刻みだす。「オレー、オレ、オレ…」と始まった。これなら僕も歌える。元気な若者や中年のオバさんも声をあげ、腕を振り上げ大騒ぎになる。いつしか僕も腕を振り上げて歌っていた。音楽は見知らぬ人たちを一つにまとめ上げる。僕らは国や人種や言葉の違いを超えて、楽しい時間を共有していた。 演奏が終わり、陽気なボーカルのオジさんが挨拶を始めた。ドイツ語、フランス語、英語で言った後、ふと僕らを見て、なにやら聞いてきた。彼女はドイツ語を解すので、すぐさま「こんばんは」と答えた。彼は彼女を見て、2度ほど確かめるように「こんばんは」と繰り返し言って頷いた。そして正面を向き、もう一度、各国の言葉で、「こんばんは」と言った。すると、見物客から笑いが沸いた。その頃になると、立ち見客も増えていて賑やかさが増していた。挨拶が済むと、アップテンポな楽しげなメロディーが始まった。スイスの民族ダンスの曲である。すると、ホテルのスタッフなのだろうか、男性と女性が現れて見物客の腕を引き、後ろにつかせて進み出した。スネークダンスである。まだ5人ほど が並んだあたりだった。突然腕を引っ張られ僕は列に組み込まれてしまったのである。僕の肩には、既に後ろの人の手が掛かっていて、逃げ出せない。彼女はそれを見て、笑いながら見物としゃれこんだ。こうなると、もう仕方がない。やる時はやりますよ。僕は声を上げながらステップを踏んだ。肩にかかる手が重い、ちょっと振り返ってみたら、小さな可愛い少女が笑っていた。半ばぶらさがるような感じで、僕の肩に腕を一杯に伸ばしていたのだ。しばらくそうやっていたが、それを見かねた母親に何か声を掛けられ、その手を降ろし、僕の腰を掴んだ。それなら楽に踊れるはずである。くねくねと進みながら、陽気な蛇はどんどん長くなる。踊っている僕らも見物人も、皆眉を広げて笑っていた。 ようやく曲が終わり、僕は女の子と顔を見合わせ笑った。すると、すぐに新たな曲が始まった。何故か、僕はその少女とその子のお婆ちゃんと手を取って、3人で踊りだしていた。女の子は僕ら二人の手を引いて、あっちへ行ったりこっちへ走ったり、キャッキャッと声を弾ませながら、ゴムマリのように跳ね回った。子供は本当に元気である。小さな女の子に僕の方が振り回されているようだ。曲が終わる頃には疲れてしまっていた。しかし、心は豊かで大きく膨らんでいた。すると、また音楽が始まった。少女はまた踊ろうとしたが、残念だがとても付き合ってあげられなかった。少女はまだ踊り足りないと言った様子で、母親が仕方なく手を取ると、またぶんぶんと跳ね回った。目を細めてそれを見ていると、お婆ちゃんが、1曲どうですかと声を掛けてくれた。僕らは手を取ってゆっくりと踊り始めた。 踊り終えてから、僕はその素敵な家族に礼を言った。そして、1枚写真を撮らせてもらえないかと言うと、快く了解してくれた。デジカメを向けると、液晶画面に少女と祖母の笑顔が映った。気付かなかったが、少女は前歯が抜けていて、生え変わりの小さな白い歯が見えていた。それが、お茶目でとてもキュートだった。最後の夜に、こんなに可愛いエンジェルに会えたことが、本当に嬉しかった。 見物しているご婦人の所に戻ると、彼女は笑って僕を迎えてくれた。そして、しばらく一緒に演奏を楽しんだ。いつのまにか村は、すっかり夜に包まれていた。 ホテルに帰る坂道を登っていると、彼女がアイガーを見て素敵と言葉を零した。目を向けると、夜空を背景に、アイガーのシルエットが漆黒に浮かび上がっていた。空は暗く深いのだけれども、山影はそれよりも黒く実在を現していた。耳を澄ませば、妖精たちの囁きが聞こえてくるような、そんな気配がした。
翌朝、9時にホテルを出た。オーナーの娘に礼を言い、また戻ってくることを約束した。駅まで送ってくれると、ご婦人が言ってくれ、一緒にホテルを出た。昨夜のお祭りのことや、これからの予定などを話しながら、何度も往復した坂道を降りる。朝の明るい光が満ちていて、斜面が緑に輝いていた。坂を下りきる少し手前の、建物の壁に挟まれた場所に来た時だった。彼女が突然言った。「キスしても良い?」「え?」と僕はちょっと驚いたが、動揺はなかった。彼女は僕の右頬に軽くキスをした。そして、僕らは駅の手前で手を振って別れた。 BOBに乗り込み、インターラーケンに向かう。去っていく景色を眺めながら、僕は楽しく素晴らしかった、美しい日々の余韻に浸っていた。
終わり 10/09/2004 |
7月の山は花で一杯でした。爽やかな風を感じながら緑の中を歩くのはとても気持ち良かったです。それでは一緒に、山歩きに出掛けましょう!!
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